『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

*「みどりの風の吹くなかに」(国分一太郎著)をさぐる   乙部 武志

*「みどりの風の吹くなかに」(国分一太郎著)をさぐる  乙部武志

*『ツルピカ田中定幸先生』の10月28日(金)のブログから転載させていただきました!

「みどりの風の吹くなかに」(国分一太郎著)をさぐる

                     乙部 武志(綴方理論研究会


《乙部さんはご自分のことをこんなふうに紹介しています》

 1929年、青森県野辺地町で生まれる。この年は奇しくも、北では成田忠久の「北方教育」が、西では小砂丘忠義の「綴方生活」が刊行された。

 長じて、県立野辺地中学校、青森師範学校に進み、「でも、しか先生」として郷里の小学校に勤める。その翌年東京に出て、ほとんどを小学校教師として定年を迎える。

 日本作文の会との出会いは、たまたま夜学の道すがら駿河台ホテル(現明治大学の一棟)で開かれていた“日本作文の会月例会”の看板に引寄せられたことだった。この研究会で、戦中の「生活綴方教師」に遭い、いうまでもなく、国分一太郎先生の実物?に初対面した。


《乙部さんがふれてくださる『みどりの風のふくなかに』の〈-1〉の部分をみなさんに紹介しておきます。》

(前略)

 これからさき、わたくしたちは、日本の子どもの、このひよわさを克服していかねばならない。そして、このしごとをよくしていくためには、わたくしたち教師のいままでの考えかたをも変えていかねばならぬ。わたくしたちの自然観や自然と人間の関係についての認識を変えていかなければならない。

 けれども、それは、教師たちのいままでの心得ちがいを克服し、そのうえで、子どもたちに、あたらしいことをおしつけていくというのであってはならぬ。それよりはむしろ、人類のこしかた(注―これまでのこと・過去)において、わが民族の歴史の歩みにおいて、おおくの人びとが、大事(・・)としてきたことをふりかえりつつ、同時に、いままでの五、六十年間のあいだに示した子どもたち――この子どもたちは、民衆・庶民・生活者である曽祖父母・祖父母・父母たちのあいだにくらしていた――の可能性に目をひらき、それによりそって、わたくしたちの新しい道をあるいていかなければならない。

 では、そのような子どもの可能性はどこにあるのか? このあと、わたくしは、いままで、わたくしがやりつづけてきた「古いもの」をふりかえるという書きかたからはなれ、いま目の前の子どもたちに見られるものを、できるだけあらわしたいと思っている。けれども、それにはいる前の「可能性」の存在についてことあげ(注―ことさら言葉に出して言いたてること)する部分だけは、むかしの子どもたちのことについてものがたるのをゆるしていただきたい。この文章では、はじめに、子どもの「詩的表現」を例としてひいたから、これからあとも、その「私的表白」ないし「詩的表現」によっていく。引用はすべて日本作文の会編で岩崎書店から刊行中の『日本の子どもの』詩からである。

  こう書いて、このあと22点の作品を紹介しています。ここでは、そのいくつかを紹介します。

☆タバコノムシロヒイデ/タバコバタキ(ケ)ノナカデ/ヨコヲムイテ、ダマッテイタバ/トオクカラ/アオイヒキガエルガ/コソットキマシタ。(秋田・一年)

☆足もとの/黄いろい芽/ふまないでよかった。(秋田・四年)

☆ほたるこは/ぐっといきをついて/はらにちからをいれて/とんでいった。(秋田・二年)

☆石の下で/こおろぎが/うたっていた/かたさせ/すそさせ/鳥海山に雪ふったと/うたっていた。(山形・六年)

☆くもが小さい足で/ちょこちょこ歩いていく/小さい穴にはいっていくと/虫が/ひょこひょこ出て来た/くもがはずかしいように/べつな穴に/はいっていった(山形・四年)

☆アレ/キノウガッコウヤスンダラ/モウコンナニ/タンポポガサイテイル。(埼玉・一年)

☆つくしがでた/ちいさいのがひとつでた/あっちかいで(あったかいので)/「ぼくでる」といって/でたのかな。(長野・一年)

☆おひるをたべて裏の田へ/水見にいった時/平ざえもんが/水をとめていた/ずれえなあと思ったら/ちょうどよく/頭をあげて/気がわるそうに/おんの(おれの)の顔ば/きょろきょろ見てた。(長野・六年)

 なにも解説しないで書きとめてきた。けれども読者のみなさんは、このようにものごとをとらえ、感じ、考える子どもであるならば、この子どもたちに、

  ★自然の生きた姿をとらえさせること。

  ★自然とは、なんと底ふかい意味をもつものでああるかをさとらせること。

  ★自然と人間のつながりについって、よりしっかりと学ばせていくこと。

  ★生態系といわれるものについてわからせていくこと。

これが不可能ではないことをつくづく感じるにちがいない。以下に、わたしは、その実際のすがたをかきとめていく。(新日本文学会会員)

 国分一太郎のこの作品にふれて、乙部武志さんがどんな話をしてくれるのか楽しみです。なお、この『みどりの風のふくなかに』を理論研の会員の学習のための資料として日色章さんがコピーしてくれたものがあります。是非、読んでみたいという方は、日色さんのところへ連絡をしてください。(携帯 080-5042-5508)

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