『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

豊島作文の会 5月例会のご報告

豊島作文の会 5月例会のご報告

第448回  5月例会(5月22日)報告    2010年7月3日

参加:田中(講師)、伊藤、片桐、榎本(豊)、榎本(典)、寺木、工藤、
太田(池袋小)、黒沢(池袋小)、張(池袋小)、千葉(池袋小)、
酒井(堤小)、中山(業平小)  

《提案》
『―だれでもできる作文教育―      
 「森のくまさん」型から「明日があるさ」型へ 』

提案者  田中 定幸さん(日本作文の会・元常任委員
       国分一太郎「教育」と「文学」研究会・会長)

1.若い先生が.何人も
 久々の、田中定幸さんの講演ということで、伊藤さん、榎本さんがいろいろと声か
けをされて、当日、池袋小からは、四人の若手の先生方が参加。墨田区からも、二人
の先生の参加がありました。

2.和やかに講演がスタート
 せっかく若い先生方が何人も参加しているのでということで、若い先生向けの話を
ということで、田中さんの話がスタートしました。

(1)スタートの話は、『みんなの悪いところばかりがうかんできた日』にまつわるエ
ピソード。子どもたちをギャフンといわせようとしたのが、逆に、子どもたちから逆
襲を受けてしまう、という話は、大変示唆に富んだものでした。

 この出来事から、

・子どもたちの感性のすばらしさ

・書かせることの大切さ

・子どもの書いた文章を読み、子ども理解を深めることが、子どもに合った的確な指
導を可能にすることなど、さまざまなことを学んだということでした。

*なお、このエピソードは、一ツ橋書房刊『育てたい表現力』に詳しく紹介されてい
ます。この本は、大変勉強になる本で、お勧めです。

(2) 2004年佐世保で起きた児童殺傷事件に関連した資料の紹介がありました。
 加害児童について、その子がどのような子なのかを分析しまとめた資料で、次のよ
うな傾向、問題性があることが明らかになったのだといいます。

1)自分の中にあるあいまいなものを分析し総合して言語化する作業が苦手。

2)幼少期より、自発的な欲求の表現に乏しく、対人行動は受動的。
 ・自分の欲求や感情を受け止めてくれる他者がいるという基本的な安心感が希薄で、
他者に対する愛着を形成し難い。

 ・愉快な感情は認知し、表現できるが、怒り、悲しさといった不愉快感情は未分化
で、適切に処理されないまま抑圧されている。

3)言葉や文章の一部にとらわれやすく、文章の文脈や作品のメッセージ性を読み取る
ことができない。
 ・相手の個々の言動から相手の人間像を把握するなど、断片的な出来事から統合さ
れたイメージを形成することが困難。このため、他者の視点に立って、その感情や考
えを想像し、共感する力や、他者との間に親密な関係をつくる力が育っていない。

4)情緒的な分化が進んでおらず、愉快な感情以外の感情表現に乏しい。そのため周囲
から、おとなしいが明るい子として評されている。

 ・怒りを認知しても、感情認知自体の未熟や社会的スキルの低さのために、怒りを
適切に処理できずに、怒りを抑圧・回避するか、相手を攻撃して怒りを発散するかと
いう両極端な対処行動しか持ち得ない。同級生から、「怒ると怖い子」と評される。

(3)田中さんは、ナゼ、この資料を持ち出してきたのか。
いくつか、理由があるようです。
1)今、現在も、このような傾向を持った子どもたちが増え続けている。

2)喜怒哀楽を表現できない。喜怒哀楽を表現した時に、それを受け止める相手がいな
い。喜怒哀楽をうまく言語で表現できない。……こういう情況は、事件を起こした子
だけにあるのではなくて、今の子どもたち、どの子にも共通してある問題で、放置できない。

3)家庭と学校の教育力の低下が問題となってくる。

4)教育の力で、あるいは家庭の力で、子どもたちの中にある、この「欠けている部分」
をしっかり見据え、補って、育てていくことが大切になってくる。

(4)具体的には、どういうことが必要になるのか。
 1) 日々の具体的な生活の中で、子どもが、心を動かしたり考えたりしていること
がらに、きちんと目を向けさせていくこと。そして、それについて、自分はどう思い、
どう感じたのかをきちんと表現させていくこと。感情を豊かに持たせることを大切に
していかなければならない。だから、

2)ある日、ある時に、うれしかったり、悲しかったり、悔しかったりした思いを、子
どもたちに、きちんと表現させていくことを大事にしなければならない。

3)そして、きちんと表現をさせながら、それをしっかり受け止めることのできる教師
(保護者)となっていかなければならないだろう。

(5)実際にはどうするのか。
・日記帳を持たせ、日々の生活を書かせること。

・教師は、日記を読んで、素直な感想を書けばいい。

・しかし、教師が読んで赤ペンを入れるだけでは力にならない。

・大事なことは、「書き綴らせる」ことと、「読み合う」ことをセットにする。

・一つでも、ほめてあげることのできる中身があったら、その作文を取り上げてみん
なで読み合っていくようにする。子どもの思い、良さに気づくように働きかけをして
いく。

・みんなで読み合うことで、教師も学ぶし、書いた子も学ぶ。それだけでなく、学級
集団も学ぶ。子どもの作文を学級通信に載せ、子どもの思い、作品の良さをアピール
していけば、保護者も学んでいくことになる。「書き綴る」ことと「読み合う」こと
がものすごいエネルギーを発揮してクラス全体を良くしていくようになる。
*田中さんは、そのことを「ダジャレね。」と言いながら、『書く融合』(「核
融合」)と呼んでいましたが、まさにピッタリの言葉ですね。

(6) 日記に、何を書いたらいいか、どういうふうに書いたらいいか。
 日記帳を、子どもたちにわたす時に、どういうふうに日記を書いたらいいか、教え
る勉強をするといい。何を書いたらいいか、どう表現したらいいか、学ばせることが
大事になる。

 ということで、左川さん(理論研究会)の指導で生まれてきた作品『お母さんのお
手伝いをしたこと』(三年 やなぎ橋 めい)の紹介がありました。

 この作品は、ある日、ある時にあったできことを書かせる指導(日記指導なども)
をする時の「参考作品」として、ベストのものなのだそうです。「ナゼだと思います
か?」ということで、若い先生方に、考えを発表してもらいましたが、いい意見がい
っぱい出てました!田中さんも感心しきりです。

・ギーコバッタンという音の表現がいい。会話が入っているので、様子が頭に浮かび
やすくなっている。

・会話があるので、すごく読みやすい。お手伝いに関して、だんだん積極的になって
いっているのを感じた。

・会話が楽しい。お姉さんらしく、時間を守って帰ろうとしている、この子の良さが
分かる。

・「 」の使用で、情況が分かりやすい。「ありがとう」という言葉が作品の中で3回
も出てくる。この家庭の温かさを感じる。

・時間の経過がくわしく書かれている。「 」がたくさんあり、しっかりおぼえてい
るんだなあと感じた。家族同士、いっぱい会話をしている。温かさというか、穏やか
さが伝わってくる。

1)田中さん自身も、言っていましたが、この作品は、「ある日型」(ある日型Ⅰ)の
文章が持っているべき特徴がいっぱいつまっている作品、と言えます。

2)「ある日型」の文章の書き方を調べ、研究していく上でも、たいへん参考になる。

3)心の働かせ方の良さ、生活のしぶりの良さなど、さまざまな良さがいっぱいつまっ
ている作品で、この点でも参考になる。

4)この作品をしっかり研究することを通して、教師は、「作品のよさ」を知り、「ほ
めるコツ」を学ぶこともできる。

(6)「ある日型Ⅱ」「いつも型Ⅰ」「いつも型Ⅱ」も。 
 『お母さんのお手伝いをしたこと』の持つ良さを、かなり詳しく解説してもらいま
した。作文指導の基本中の基本である「ある日型Ⅰ」の指導法を、しっかり身につけ
ることが大切ですね。

 そこから、「ある日型Ⅱ」、「いつも型Ⅰ」、「いつも型Ⅱ」の文章の持つ特徴も
イメージしやすくなっていきます。

 「ある日型Ⅱ」、「いつも型Ⅰ」、「いつも型Ⅱ」の文章に関しても、分かりやす
く説明をしてもらいました。

 5月例会には間に合いませんでしたが、「ある日型Ⅱ」、「いつも型Ⅰ」に関し
ての詳細は、『作文指導のコツ② 中学年』(2010年6月15日第一刷発行.子どもの未
来社)でぜひ勉強を! 

(5月例会の報告、遅くなってすみません。文責:工藤)

                     
お母さんのお手伝いをしたこと』
              三年   やなぎ橋 めい
十二月六日のことです。
わたしが宿題をしていたら、お母さんが台所で、
「お米をといで。」
と言ったので、
「宿題してる。」
と言いました。
「ゆうきをむかえに行くから、後でもいいからやってて。」
とたのまれました。そして、お母さんは、ほいくえんのおむかえに行ってしまいまし
た。

 わたしは、お姉ちゃんにお米のふくろをあけてもらってから、お米をとぎました。
 しばらくたって、お母さんと弟が帰ってきました。そして、弟が、
「自転車乗りたい。」
と言ったので、
「わたしが外につれていくよ。」
と言いました。弟がうるさいし、お母さんはタはんのしたくでいそがしいからわたし
がつれていこうと思ったのです。
「そう、つれていってくれる、ありがとう。でも、今四時半だから、五時までよ 。」
とお母さんが言いました。弟は、
「やったやった ! 」
と大よろこびしていました。

 わたしと弟は、新公に行きました。 弟が自転車で遊んでいたので、わたしは弟の
そばで見ててあげました。弟は、もう乗れるんだけど、たまにころぶので、見てて
あげました。この日はとてもうまく乗れました。

 十分ぐらい遊んだので、もう帰れると思ったら、弟は、シーソーを指さしました。
わたしが、
「シーソー乗りたいの 。」
と聞いたら、
「うん、乗りたい。」
とうれしそうに言ったので、二人で乗りました。弟が、
「ギーコ、バッタン、ギーコ、バッタン 。」
とおもしろがっていたので、しばらく乗っていました。それで、時計を見たら、四時
五十分だったので、弟に、
「もうおしまい。」
と言ったら、
「じゃあ、黄色いのに乗りたい。」
と言ったので、
「じゃあ、それに乗ったらおしまい。もう帰るからね。」
と言ったら、
「うん。」
と弟がうなずきました。それで、黄色い馬みたいな乗り物に乗せました。
 それで、四時五十六分になったから、いそいで帰りました。
 家に入ると、お母さんが、
「お母さんとのやくそくをまもってくれてありがとう。お姉ちゃんと遊んでもらって
よかったね。」
とほめてくれました。弟は、
「うん。ありがとう。」
と言ってくれました。

 わたしは、お母さんのお手伝いをたくさんできてよかったです。
  
    ( 学級文集『ひかる』三年 墨田区立梅若小学校 左川紀子先生指導 )

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