『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

綴方理論研究会 2月例会の報告

綴方理論研究会 2月例会の報告

■2月例会(2011.2.13)報告―田中定幸  司会・中山  記録・工藤

 参加:本間夫妻 左川紀子 榎本豊 田中定幸 早川恒敬 工藤哲 中山豊子 
     高橋朱美 乙部武志

◇講義 とつおいつ その38 

「デューイ教育思想と生活綴方」を読む その4
                                    
                                                   乙部 武志  

 安部貴洋さんの報告・論考にありますものを、周りから理論というものを助けるといいますか、これはどこからこういうふうなことが来たのか、というようなことに話を及ばせなければいけないので、かなり阿部さん自身からは離れたことを、この前も話してしまいました。

今みなさんのお手元には、工藤さんがこの前、まとめてくださったものがあるわけですけれども、このまとめにありますものは、一応は出だしとして話したことですが、国分一太郎が書いているものと、それから安部貴洋氏が考察していることがどこでどう関わりあっているのかということで、その周りのことを話したものでした。

この時、ジョン・デューイについて、その背景などもふくめて話をしました。特に、戦後教育で、誰もがそこを通過させられた「コースオブスタディ」(学習指導要領の前身)。それとの関わりということで、ずいぶん長く話をしたのです。

またもう一度、これを繰り返さなければいけないことになるわけですけれども、簡単に言いますと、戦後教育といわれたもの、「コースオブスタディ」を中心に展開された学習というのは、たとえば、卑近なことでいうと、「勉強」、「勉強」という言葉を使うなとか、「教室」という言葉を使うなとか、「教室」などというのは、教える部屋だから、それでは新しい趣旨に合わないから「学習室」と言おう等々、「学習指導要領」、「学習」という言葉に伴って、そういうことを主張した人までいたのです。

 どういうことが、その大きな流れ、主流になっているかというと、《教師中心から、児童中心へ》というのが、義務教育の一番大事なことであると。そういうことで、たとえば、そのひとつ、戦中、戦前に、読み方教育の中で、例の芦田惠之助の惠雨会。惠雨会という会ができて、そこのところで、ずっと普及されていったことでは、ま、もっとも、これを戦後にも実践した人がたくさんいるのですが、そういう中で、我々ゆかりの人は、例の古田足日のお父さんの古田拡(ひろむ)。法政大学からその後は、和光大学へ行って教授をした方ですけれども。いつでも、特徴のあることで思い出す人も多いだろうと思うのですが、ひょうたんにお酒をつめて研究会にやってきては、みんなにそれを飲ませるなどということをしていた。中々、足日さんとは、わりに似ても似つかないような豪快な方でありました。この方などは、芦田惠之助の門弟であったというようなことから、徹底して、子どもたちを、叱って教えるということばかりやった人でした。

国分一太郎が、六全協のあと、党員という立場から首を切られてしまってということがあった後です。それまでは全国くまなく講演で行脚していたのが、それこそメッカというような意味でいうと、一番、岐阜恵那地方の人たちは、国分先生を神様のようにあがめていた。それが、何というか、国分さんの講演会というと、そのグループの人間がわざとです、公会堂だとか、講堂なんかに列があると、第二番目の列に座るのだそうです。これは、何度か話したことがあります。聞いたことありますよね。

第二番目の列に、なぜ座るか。それは、国分さんが話し始めた途端に、二列目に座った自分たちで、土足を前の椅子の背に、こうやって上げて、抵抗の姿勢を示すということなのです。そういうようなことが実際にあったのです。国分さんは、もうその頃になったらば、講演の口がほとんどなくなりまして、ひじょうにたいへんだったのです。

古田足日のお父さんの話から、なぜここに行くかというと、古田足日のお父さんが、そういうことに
ひじょうに憤慨しまして、芦田惠之助の授業はこうだったんだというようなことでもって、我々が国分一太郎と一緒に参加する、たとえば、杉並区の研究会などに行きますと、そういう行為に怒りをぶつけながら、自分で「たわしのみそ汁」の授業をするなどというようなことをした、そういうことがあったのです。

このように、背景というようなものを話すことによって、いろいろなことが分かっていくのですけれども、工藤さんのまとめてくださったのは、そういうふうな時期の、日本作文の会で、どういう人たちが活躍したかということでありました。

今度は、今日、渡された榎本さんの「はじける芽」43。これは、そのことをうんと絞ってきまして、それでは、国分一太郎が属していた日本作文の会の様子というものは、どういうことであったのか、というようなことを中心に話したつもりなのです。で、その土台になることとしてお話したのが、中野光(あきら)、和光の教授をしたり、その前が、立教大学にいたりというような、そういう方なのですけれども。その方がずいぶん詳しく、その当時の様子を書いていることが一つと、もう一つは、今言いました中に、この『石をもて追われるごとく』という国分一太郎の編集した、この本。この本の一番最初のところで、論文が紹介されている。前の共産党の委員長の不破哲三、副委員長を務めたその兄の耕一郎、その父親である上田庄三郎。この方のことを、この時代の様子が分かるようにということで、説明したわけです。それは、中野光の大正デモクラシーという、そういうことを書いた本を中心にしてお話したつもりだったのです。榎本さんから渡されたこの1ページ目のところ、20行より下のところあたりに、『石をもて追われるごとく』のことが書いてございます。たぶん、誤植が直ってみなさんに渡されたと思いますけども、「闡明会」(せんめいかい)という会を立ち上げて、自分たちの抵抗の姿勢をあらわしたわけですね。

話をあちこちと、ちらばして話すことになりますけれども、ここに出てくる小砂丘忠義だとか、それから中嶋喜久雄(?)というのは、またこれ別のところで話さなければいけないのですけれども。

こういう人たちが活躍したその時代というのは、生活綴方がまだ、いわゆる全国的な組織として認められ、普及された時代ではないのです。すなわち、国文一太郎の言葉によれば、その後、「日本綴方の会」だとか、あるいは、「日本作文の会」という全国組織になる前までは、生活綴方がなかったわけではないけれども、たとえば1929年の秋田における成田忠久たちの北方教育、それから土佐、高知における小砂丘忠義などの『綴方生活』。それの母体になったというふうな言われ方をするそういう人たちが、ただ単に、自分たちが、小さな出版社に依拠したりなんかして作った会にすぎなかった、というのです。

それを、だいたい1950年あたりの頃から、例の『山芋』だとか、『山びこ学校』だとか、そういうふうな出版物が出、国分一太郎の『新しい綴方教室』が出たあたりですね。その頃にならないと全国組織といえないじゃないかということで、日本作文の会設立30年記念の時に、国分一太郎が、〈何だかんだ言っても、結局、日本作文の会という、どこかの出版社に依拠したのではなくって、自分たちで会を作ってやったということ、それは、戦前にはなかったことだ、戦後のことだった〉というふうなことを述懐して言っているわけです。それは、その通りでありまして、その辺のところが、あとでまた言う、村山俊太郎の一派のところ、あるいは、小砂丘忠義の一派のところと、日本作文の会の人たちとの違いということになるわけです。

話をいろいろ広めなければいけないと思うのですが、最初に話した中に、ジョン・デューイの研究をしている阿部さんが、研究の糸口みたいにして書いたものが、日本作文の会よりも、国分一太郎に焦点を当てているために勢いそうなっていくのんですけれども、後でこのテキストに従って、私、この箇所というふうに言いますけれども。そこのところでは、一応、国分一太郎の『新しい綴方教室』にしても、その後の、論点の中心をなすものにしても、それは、マルキシズムを出発点としているという、そういうことを当時、言った人たちがいるということなんですよね。

安部貴洋氏は、そのことを一応は否定的に扱ってはいるのですけれども、ここに共産党の存在ということを無視してはやはりできない部分が、これは歴史的に見て、もうはっきりしていることだろうということなのです。安部貴洋氏が書いたその中にも、そういうふうな論調が出てくるのですけれどね。

それで、今日は、この前は、ぼくが、この『石をもて追われるごとく』と大正デモクラシー、さっき言った中野光のものを中心にと言いましたけれども、今回は、もう1冊、紹介いたします。これは、例の、我々と一緒に、いろいろなことをやってきた風濤社、高橋行雄です、その風濤社から出ている本なのですが、書いた人は、ここにありますように、林尚男(ひさお)という。書名は、『遊ぶ子どもの声きけば』です。林尚男といったら、神奈川の田中さんは、よく知っているだろうと思うのですけれども、そんなに名前を馳せた人じゃないですか?(田中:勉強不足で、知りません。)

府川源一郎などと一緒に、大体、川崎を中心にして、小学校教師を始めた人です。経歴のことを言いますと、この人は、この前の中野光よりも2年ほど前に生まれて、1927年、鹿児島で生まれているのです。で、今言いましたように、府川源一郎だとか、その他、阿部進なんかもちょこちょこっと出てくるのですけれども、神奈川県における川崎が当時、組合運動でも何でも、メッカだったのですね。そういうところで、小学校教師として出発した人なのですけれども、どちらかというと、ぼくなんかが知っている限りでは、共産党の細胞として、活躍したという人なのです。この本は、おととしあたりに、ぼくがその気になって読んだものなのですけれども。

この林尚男と、それから、国分一太郎の関係について言えば、どちらも共産党の本部務め、本部に関係するような仕事をした人間なのです。それで、国分一太郎は、その後は、共産党の本部での仕事だとか何とかということは、あまり語らなくなったのですけれども、当時、国分一太郎の肩たたきでもって、共産党に入党したという人が、我々、教員仲間には、たくさんいたわけです。そういうふうな人だったわけですが、もう少し、この林尚男についてさかのぼって考えると、鹿児島の出身で、昔のナンバースクールでいうと、第七高等学校、鹿児島の高校ですかね、そこを出た人で、その頃から、党活動をずっと続けていて、やがては、法政大学に入るのです。中々、裕福な家庭だったのか、父親に早く亡くなられているのだけれども、この林尚男の兄という人は、京都大学を出ている。彼は、京都大学を受けて落ちたから、しようがなく法政大学に来たというような、そういうふうな人なのです。もうほとんどが党の活動をし続けて、大学に在学中も、ほとんど学校に行かずに、党の仕事ばかりしていたというような感じの人なのです。

だから、ここを、この人のその手記を見ると、今、ぼくがぱっと開いたところも、六全協の話が出てくるのですけれども、その頃のものをずうっと見ていると、人民文学、その後、新日本文学のところと統一されて、別の会になっていくのですが、岩上順一という人については知りませんが、野間浩、それから、彼のこの文章にたくさん出てくる廣末保。それから安部公房、それから、山岸外史らが出ている。その次に、今度は、新日本文学の方からは、蔵原惟人、中野重治、窪川鶴次郎、佐多稲子、夫婦ですね。それから、詩人の岡本潤、壺井繁治、国分一太郎らが出席したというふうになるのです。ここで、林尚男は、国分一太郎と非常に密接な関係を持っていくのですが、やがては、この間も、ちょっとばかり触れたのですが、ついこの間、世田谷美術館で、例の群馬の女の人を作ったので有名になった、そういう方の展覧会を見てきたのですが、やはり、党に所属していて、やがては、この新日本文学関係の人たちと一緒に、党を除名される、そういう人ですよね。この前、言いましたでしょ。

で、そういうことで、今、話があっちこっち行くのは、ここにまつわる人たちというのは、これから後、ぼくらのこの理論研究会、あるいは、国分一太郎「教育」と「文学」研究会に、いささかの関係がある人ばかり出てくるのですよ。この時代に、例の大西巨人、その巨人の名前も、ずうっと出てくるのです、何回も。この大西巨人の息子の大西赤人が、例の浦和高校を受験する。赤人は、障害者なわけです。それを、入学をじゃまされたということから、埼玉の人たちが結集をして、そして、「障害者の教育権を実現する会」というのが生まれ、そこの現在、主メンバー、主たるメンバーが、津田道夫ということなのですよ。で、すぐ次のところに移って忘れてしまうからね、これは、榎本さんなども購読しているというものですが、こういうふうな月刊誌(『人権と教育』)が、ここの「障害者の教育権を実現する会」から出ているのです。

今年は、障害児の高校就学は権利だということでもって、ここにでかでかと、大西赤人、浦高入学不当拒否を撤回させる運動という、そういうことを振り返った記事がずらっと出ています。今年は、記念する会ということで、これを先頭に持ってきたのですね。国分一太郎がやがて、日本作文の会の委員長などというのを絶対引き受けなかった人間が、この会の代表になるのですね。亡くなるところまで、代表になっているのです。で、国分さんが、意外にここと関わりがあるのですけれども、今回、3月5日、ここに出ているのをそのまま読み上げますと、3月5日、土曜日、午後の2時から、さいたま市下落合コミュニティセンター、これは、京浜東北線の与野駅の西口で降りるそうです。で、埼玉りそな銀行の右隣の四階にあるところで、『小学校教師としての国分一太郎』という題で、津田道夫が話すそうです。
これ今、回覧しますので、どうぞ、ご承知おきください。そう多人数になる会ではないのですけれども、組織としては、日本国中には障害児がたくさんいるので、その障害児を普通学級にというような運動を、ずうっと続けている団体なものですから、全国組織になっています。

この機関誌には、去年の東根の国分一太郎「教育」と「文学」研究会で、自然科学教育について話した、平林氏などが、ずうっと連載をしたりしています。これを後で回覧をします。うしろのここのところが3月5日のお知らせが出ているということ、ご承知おきください。

さあ、先ほどぼくが、この『遊ぶ子どもの声きけば』の中の、六全協のあたりの話をしたところで、何人かの新日本文学会の人たちの名前を出しましたけれども、当然のことながら、佐多稲子も入っていますよね。あの窪川のとこに、佐多稲子という、こう言いましたけれどね。それから、その他また、たくさんいるのです。この会、この人たちのグループというのが、先ほど言いました、この新日本文学の会であるわけです。この新日本文学の会が、国分一太郎の追悼として特集をした1985年の10月号、457号に、佐多稲子だとか、それから例の、北方教育のことを書いた高井有一だとか、それから鶴見和子だとか、それから解放教育の福地幸造だとか、作家の野呂重雄などが、ずらっと追悼記事を書いている。そういう、このことに至るまでのことを知りたければ、この林尚男の『遊ぶ子どもの声きけば 一教師の思い出』、というのをね、呼んでみればよく分かるということなのです。それで、これを紹介するわけ。

林尚男は、たいへんに国分一太郎を尊敬していて、その林尚男の尊敬している様子がよく分かる文章が、この中に、たくさん出てまいります。かれは、小学校教師でありますから、当然のことながら綴方教育などにも携わったわけですけれども、日本作文の会との関連はほとんどない人です、残念ながら。ただ、川崎市では、国語教育研究会という形でもって、先ほど言いました、今、日教組の共同研究者をしている、田中さんなんかと一緒にやっている横浜国大の府川源一郎などと一緒にやったという話が出てくる。彼が、国分一太郎のことを慕っているというようなことで言うならば、214ページのところには、例の「あのきてき/たんぼにも聞こえただろう。/もう、あばあ帰るよ。/八重蔵 /泣くなよ。」という、そういう詩なども引用して、自分も、こういう教育に携わったということが出てくるのです。

今、話している部分というのが、彼、1927年の生まれでありますから、小学校教師となって仕事をしていくその年代というのは、ちょうど、ジョン・デューイの新教育のことについて、やはり洗礼を受けているはずなのですね。特にそのことは出てきませんけれども、一応は、小学校教師として、特にこの、ここには、「大八戸小学校」と書いてありましたね。ここで、いろいろ実践したことが出てまいります。
国分一太郎がほうぼうに名前を出してきますけれども、「国分さんの仕事」というところで、国分さんが、では、どんな仕事をしたかということが書かれているので、それを読み上げてみますと、 

 国分さんとは、新日本文学会にいたころから親しい付き合いをさせていただいていた。この本の出た半年ほど前、私たちの集まっていた日本文学協会国語教育部会で毎年やっていた夏の研究集会に、国分さんを呼ぼうという話が持ち出された。言い出したのは、学芸大学で国語教育を担当していた田近洵一である。この話が部会で決まると、私は国分さんに依頼の電話をかけた。講師料は五万円だというと、国分さんは、
「そんなにもらっていいのかね。とてもありがたい話だけど」
と快く引き受けてくださった。

(記録者註:枠内は、『遊ぶ子どもの声きけば 一教師の思い出』からの引用部分です。)

 これはまあ、当時としては、たいへん高い講師料ですよね。よく、こんなお金出せたなあというふうに思うのですが、だから国分さんなどは、これからあと、しばらくの間は、1万円出したらもう喜んで来てくれるというね、喜んだかどうかは別問題として、そういうふうな様子だったということが分かるのです。それで、この辺のところで、一つ、この林尚男が、重要なことを書いている。国分一太郎を知るためには、どうしてもここを皆さんに聞いてもらいたいのです。

 研究集会には五百人ほどの聴衆が集まり、盛会だった。国分さんは、戦後の国語教育についての総括的な話を病み上がりの身にもかかわらず長い時間をかけて話された。

 これは、何年ということを言わなければいけないのですが、国分さん、たびたび、ヘルニアが出て、入院をしたりしているのです。決して、健康体でずっとすごしたわけではないのです。そして、喫茶店で交わした話で、忘れがたいことがあると言うのです。

この話にも感銘を受けたが、私には会が終わったあと、喫茶応で交わした話の方が忘れがたい。そのとき、国分さんは自分を笑うとき見せるはにかんだような笑い顔をして、こう言った。
「ずっと前、中野さんから君はいつまでも啓蒙的な仕事ばっかりやっていないでもっと創造的な仕事をしなければいけないといわれたが、この年になっても啓蒙的な仕事しかしていない」

 これは、中野さんに言われたことを、今、言いましたが、林さんたちに話しているわけです、こういうふうに。

「ずっと前、中野さんから君はいつまでも啓蒙的な仕事ばっかりやっていないでもっと創造的な仕事をしなければいけないといわれたが、この年になっても啓蒙的な仕事しかしていない」

 私はそのとき、国分さんに言葉を返さなかった。しかし、国分さんの仕事をただ啓蒙の一言で片付けることができるだろうか。中野重治の言葉は、国分さんへの信頼と期待の大きさから発せられたものにちがいない。私は、その言葉をそのまま受け取るわけにはいかないように思った。

 というので、国分さんの、この頃していた仕事をずうっと書いてあるのです。そうすると、一つは、戦前から続けていた、子どもたちへの読み物。戦争中に書いたものでいうと、『戦地の子供』、これはまあ、子ども向けというわけではないですね。『すこし昔のはなし』、これもそうですよね。そして、戦後になってから、今度は、『鉄の町の少年』や『リンゴ畑の四日間』など。児童文学者の面が、これですよね。で、二つ目として、今度は、『小学校教師たちの有罪』なんかで、そのことがはっきりと書いてありますように、やはり、教育運動の指導者であった、組織者であった。

日本作文の会、教育科学研究会、児童文学者協会、新日本文学会、日教組教研講師団、障害者の教育を実現する会。私の知っているだけでも、国分さんはそうした会の中心部にいた。国分さんほど多くの会議に出席し、全国を旅した人は少ないのではないか。国分さんは、ほとんど「自分を勘定に入れず」(賢治)に運動と組織の仕事に打ち込んだ。前の三つの仕事は、組織者としての仕事の必要から、あるいは、その合間になされたといってもいいだろう。

 で、ここまでが、国分さんを擁護する言葉で綴られていますが、この次のところあたりから、やがて阿部さんの論文に関わっていくことと関連したことが出てくるのです。

いま一つ特記したいのは、彼の提出した「概念くだき」の問題である。一九三〇(昭和五)年

 一九三〇(昭和五)年2月発行の『北方教育』のこと、さっき話した、29年に出ていて、この頃から売り出したのですよね。それで、成田忠久による巻頭言「我らが使命」が載せられてうんぬんとこうずっとあるのですが、この頃からすでにもう、研究者であると同時に組織家、運動家である。で、国分さん、その後に、『現代つづりかたの伝統と創造』というのを書いていくのですが、この林尚男が、やはり大事なことを見のがしてはいないのです。

国分さんの持続的な仕事は、たんなる啓蒙ではなく、正しい意味で創造の仕事であったように

 一つは、国分さんの持続的な仕事は単なる啓蒙ではないということを言いたいために、「正しい意味で創造の仕事であったように私は思う。」と書いている。そこのところに、今回、安部貴洋氏が、資料として取り上げた『現代日本の思想』が出てくるわけです。すなわち、鶴見俊輔が、生活綴方をプラグマチズムというところに位置づけている。これを、林尚男の言葉を借りると、

 鶴見俊輔は、国分さんたちの戦前の「生活綴方」の運動を、『日本の思想』(岩波新書)のなかで、プラグマテイズムの日本的達成として大きく評価している。

 すなわち、鶴見俊輔に認められたと。これは、必ずしもそう言えない部分もあるわけですけれども。

 国分さんの仕事は、日本におけるマルクス主義の具体化、適用のすぐれた実践といいたい気がする。

 これは、彼が、党員の立場のところで書いている言葉です。だから、ひじょうに、国分一太郎というのは多様性を持っていたということになるわけです。

 ぼくの話していることが、あっちとび、こっちとびなのでね、これをまとめる工藤さんはたいへんだろうと思うから、工藤さん、どうぞこの本をお持ちになって、記録する時に参考になさってください。ぼくが付箋をしているところが、ぼくが中心に読んだ部分になりますからね。

 実を言いますと、ドイツから息子の古い友人が来て、お墓参りをしてくれるということになりまして、本当は、昨日、それを済ませるという予定だったのですが、どうしてもというむこうの都合で、今日になりまして。それでね、みなさんの第一陣が着いたあたりに、ぼくもちょうど帰ってきたところなのです。

 そういうことから、一応は、ここに今日話すことをまとめていたのですけれども、少々、大げさなことを言うならば、ある研究というようなものが、ぼくの目の前にまたぱっとこう出てきたものですから、こちらにちょっと気を取られていて、今日は、あまりよくまとまりがないのですけれども。ぜひ同世代の人間がそれを書いたということでね。ぼく、もと同世代ですよ。

 ついでのことながら言っておきますと、この林尚男はやがて、川崎の小学校教師から、府川源一郎なんかの紹介などもあって、例の横浜国大の井関さん、彼なんかの推薦もあって、弘前大学に助教授として招かれるのです。そして、その後、教授になり、だいたい、小学校教師などを経験した人の筋道といいますか、やがて付属中学の校長をして、そこで一応辞めています。そして、東京へ帰ってきて、北里大学で教授をし、教職生活を辞めるという、そういう生活をしているのです。

 国分一太郎について、この本は、ぼくなどは知らない事実はあまり出てこないのだけれども、これを、昨日、この『いつまで青い渋柿ぞ』と較べて読んだりしたのですけれどもね。ほとんどまちがいがない。ね、そういうこと。ただこちらの方(『いつまで青い渋柿ぞ』)は、国分一太郎が赤裸々に書いているところがある。国分一太郎自身の言葉で書いてありますからね。比べてみると、党活動とか何とかということで、ひじょうに仔細に富むことがあります。

 今日もまだ、このジョン・デューイのデューイ学会の話のところに深入りできませんでしたけれども、この次は、このジョン・デューイは、この次でおしまいということにして、安部貴洋氏のものについて、具体的に話そうと思っています。

 2時12分でございますから、もうそろそろ、次にいきますが、今、ひじょうに、ゆれうごく心でたいへんなのだけれども、やがては、ブルドーザーが入ったら、ここは、跡形もなく、全部、無くなってしまいますから、今のうち、これ、方々にこう分けておいた方がいいのではないかなと思ったりしてるのですけれどもね。もう、あっちにもこっちにも、こういうゴミばっかりありましてね。

 これですよ、『現代教育の探求』って。(田中:はい。高橋さんが、深刻に考えている。)そう、いいんですよ、深刻なんです(フッフ)。ということでね、この次は、もしお手元にあれば、『現代日本の思想』(岩波新書)と、それから、『新しい綴方教室』は、新版でも、古い版でも、何だって、だいたいは、大すじ変わりありませんから、ぼくのところにも古い本もそこにあって、これが新版の上製本になった、一番新しい本ですけれども、こういうふうなものを持ってきてくだされば助かると思います。

 工藤さん、気が遠くなるでしょ?話があっちこっちいってね。(笑い)あなた、忘れずに、その林尚男、持っていってください。そこの文章を読んだからね。(工藤:はい、お借りしていきます。)
*この後、『昭和教育史への証言』(三省堂・海老原 治善編集)や、『大正自由教育の相克…夜明けを求めて…』などに関連して、お話が続くのですが、申しわけありません、割愛いたします。


《提案》
  ことばの教育をめぐる状況と課題 他 
                                         提案者 田中 定幸さん


*田中さんは、三つの資料を用意してきました。下に掲載いたします。

《資料1》 
            
日教組第60次 教育全国集会 日本語教育 
                                                  2011.1.22
ことばの教育をめぐる状況と課題
                               田中 定幸(綴方理論研究会

 学習指導要領が改訂され、小学校は2011年度から、中学校は2012年度から完全実施、高校は学年進行で2013年度から順次実施され、小・中学校では昨年から移行期に入っている。
 今回の学習指導要領は、2004年に出された、文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」とOECD(経済協力開発機構)のPISA調査にみられる学力観がベースになっている。
 21世紀の社会を「知識基盤社会」と規定し、このような状況のなかで、保守的で教養主義的な言葉の力を求める古典重視の立場に立ち、確かな学力、豊かな心、健やかな体の調和を重視する「生きる力」を育むことを目指し、一方ではpisa型読解力に代表されるような、実用的で、社会に役立つ言語力を求める立場に立っている。そして「学力低下」の論議を受けて「全国学力・学習状況調査」などを背景に「知識の活用力」と「基礎的・基本的な知識・技能」の習得を強調している。

一、改訂のポイント
①国語科の目標は小学校も中学校も変わっていない。現行学習指導要領で強調された「伝え合う力を高める」という点にも変化がない。
②国語科の内容構成が一部変更になった。「A話すこと・聞くこと」「B書くこと」「C読むこと」と「言語事項」の三領域一事項という構成はそのままだが,「言語事項」が「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」となり,従来まで「言語事項」の中にあった「発音・発声,文字,表記,語句,文語調の文章,文及び文章の構成,言葉遣い」などは「A話すこと・聞くこと」「B書くこと」「C読むこと」の関連部分に移された。
③「伝統的な言語文化」が新設された。今回の改訂で、最も大きく変わったのは,この点であり、昔話や神話、文語調の短歌や俳句、古典などに関する指導事項を新しく登場させた。
④現行学習指導要領では,学習時の「言語活動例」は「内容の取扱い」欄にまとめておかれていた。それが「2内容」の「A話すこと・聞くこと」「B書くこと」「C読むこと」の指導事項の後に,より具体化されて示された。つまり,各領域の指導事項と学習活動例が密接な関係のもとに結びつけられて,具体的な言語活動として提示されたのである。
⑤目的や場面に応じて,めざす言語能力を達成するために言語活動を行うという国語学習の展開の筋道が明確に示され、実際の言語生活における言語能力の育成と言語活動に対する態度とをセットにしようという姿勢が示された。
⑥国語学習と読書活動や図書館活動とが密接に連携していることを,これまで以上に強調している。
                                          (*注1)
二、「国語」教育の状況
 新学習指導要領のこうした改訂を先取りしたり、「移行措置」をはかるなかでつぎのような学習が数多く実践され、あるいは推し進められようとしている。
・「領域」を超えて、単元構成や、授業が展開されている。
・(他の領域の)「言語活動」を導入した「主教材」の読み取りから、読書活動を含めた発展学習へ、さらに交流(発表)へ。
・「ゴール地点」(紹介、発表会など)を目指した授業展開
・場面ごとに課題をたて、話し合いにより読みを深める。(物語を読む学習における「話し合い活動」の重視。)
・登場人物への「手紙」、「○○日記」を書き、読み合う。
・「クイズ」を活用する。
・「○○の気持ちがわかるところ」を中心にした読みが展開されている。
・児童生徒が「まとめたもの」を読み合う(交流)学習の重視
・「言語活動」を通して、自分の思いや考える子をめざす学習
・「経験したことを報告する文章」「観察したことを記録する文章」「説明する文章」「調べて報告する文章」「依頼状」「案内状」「礼状」などを書く学習
・精読・熟読は大切だとしつつも、活字情報や本を目的に応じて読む読み方の指導が強調されて、いわゆる文章全体の内容理解という読み方だけでなく、複数のテキストについて読み比べたり、必要なところを中心に読み、欲しい内容についてポストイットを張ったり、自分の言葉でそれをまとめなおしたりしている。
・「伝統的な言語文化」が新設され、格段に増えた古典などについて、「音読や暗唱」という言語活動によって教えている。

三、うかびあがってきた問題点

 目的や場所に応じて、めざす言語能力を達成するために言語活動を行うような学習を進めていくことは、重要なことともいえる。しかし、常に言語活動が指示され、それを優先するような授業が常に展開されているなかからは次のような問題がうかびあがってくる。
言語活動の重視強調をする今回の学習指導要領はPISAを強く意識した改訂になっていることは周知のとおりである。「各教科等における言語活動の充実」もその一環である。
 目的や場面に応じて,めざす言語能力を達成するために言語活動を行うという学習を進めること自体は,きわめて重要である。一方的な講義方式や、知識伝達型の授業を脱却しようという趣旨はよく理解できる。また、児童・生徒を活動の主体にした授業を推進し,生きて働く言語能力を育てようという姿勢も伝わってくる。この言語活動例の指示が、読書、調べ学習、まとめ、発表といった活動が求められ、一人ひとりの「主体性」「自分の思いや考えを伝える力」をということで、「一人学習」が単元のなかに位置づけられていく。
 具体的な言語活動を数多く記述したことで,小学校で4月から使用される教科書には、学習指導要領に「例示」された言語活動が網羅されている。
 こうした状況の中で、子どもたちにとっては「活動」そのものが目的になってしまっている。盛りだくさんの言語活動をこなすのに精一杯で,十分な言語能力が身につけられない状況が生まれてくる。「興味・関心」「主体性」「自分らしさ」「一人学習」の一方では「格差」も生まれ、目指すはずの「学び合い」が成立しなくなる場合も生じている。
 それをささえなくてはならない教師の側でも、本来その単元で育てなければならない力をわすれて、言語活動を優先する授業を展開している。
 「書くこと」における言語活動の例示によって、子どもたちの書く文章は「報告」「観察」「説明」「記事」「依頼文」「礼状」などの文章を書くことに追われている。日記や手紙という活動例から、「読み」の学習のなかで、それをとりいれて、登場人物への「手紙」、主人公の立場で「○○日記」を書くことで、書く力を育てているつもりでいる。とりたてた「言語教育」の指導もなかなか位置づけられない現状にある。
 文学教材を扱う授業においても変化がみられている。今回の指導要領の改訂では、中学校でも「主題」が無くなっている。これは、言語作品を,「何が書かれているか」という側面からだけではなく,「どのように表現されているか」という観点から指導すべきだという方向が示され、言語の指導としての国語教育という側面をさらに押し出している。しかしそれが文学教材を言語技能を教えるための材料として,あるいは「心情」や「描写」を抜き出して分析する素材としてだけ取り扱うような傾向が生まれ、文学教材を通して豊かで芸術的な想像力と感性とを養うことを忘れている。
 新設された「伝統的な言語文化」の学習については、新しい教科書には、古典に関する教材が限られた時間配当のなかに、様々なものが盛り込まれている。音読や暗唱という言語活動を通じて学ばせるとしているが、学習者のみならず指導する教師にとって課題となっている。

四 課題を解決する視点として

(1)学習者である子どもの側にたった視点でとらえなおすことを
 こうした状況の中で、まず問題にしなければならないのは、学習者であるこどもの側に立つ発想が見られないことである。今の子どもが日々の生活の中で、何に悩み、何を喜びに感じているのか。そうした喜怒哀楽を自覚し、さまざまな学習と結びつけながら認識を深め自己確立へと導くようなことばの教育をどのように展開していくかが、一番大事なことである。
 また、社会や文化の状況は、コミュニケーション手段を含めて、大きく変わっている。これからの時代に求められる「国語力」「読解力」を考えていかなければならないであろう。しかし、そうした要請を「実生活で生きてはたらくことばを育むことばの教育」として、それを、そのまま「言語活動」にもりこむことが、子どもにとってほんとうに「生きる力」になるか疑問である。
 子どもの発達段階にそくして、あるいは、幼、小、中、高をふくめた学校教育のそれぞれの段階で、どのような教育をしなければならないかを考えなくてはならないのではないだろうか。

(2)「国語科」固有の役割をといなおす
 「各教科での言語活動の充実」が言われるなかで、各教科での「記録、要約、説明、論述」や発表・話し合い活動などが多く取り入れられることとなった。これは、それぞれの教科のねらいを達成するための言語活動でなくてはならない。言語活動重視という方針に振り回されてはならないことはいうまでもない。
 また、その一方では、国語科教育においては「ことばの教育」を担う立場としての固有の役割を明確にして、あらためて、その本質を問いなおし、めざすものをはっきりさせて、子ども自身が発見する喜び、学び合いが成立するような学習活動を組織していかなければならない。

(3)あらためて「領域」(構造)を考える
 わたしたちは文学作品や説明的な文章を読むことのなかでことばのきまりの指導を行うだけでは、日本語の力が身につかないということの反省から、文法をとりたてて、時間をとって、一定の順序性に立って教えなければならないものとして「言語の体系的指導(日本語そのものの教育)」の柱を立てた。それと同時に、もう一つの柱としては「日本語をもちいてする諸活動」の教育を考えた。そして、この「言語活動」には「つづり方(作文)教育」「読み方教育」「話し言葉の指導」が含まれ、「言語の体系的な指導」のなかには、「文字」「言語」の指導が位置づけられた。
 そして、教科構造として「言語の教育」と「言語活動の教育」を基本構造として、それぞれの内容を明らかにしてその教育が進展するにつれて、両者が関連しあい結び合って教育の実をあげることを実践の上で明らかにした。
 また、「言語活動の教育」の中においても、「つづり方教育」「読み方教育」(読み方教育においては、科学的説明文の読み、文学作品の読み〉、「音声言語」(である話しことばの指導)のそれぞれの特徴をとらえ、子どもの発達と意欲、そして、具体的な授業展開と、その目標達成について、きめこまかな配慮をして、実践を展開するように心がけてきた。
 実用的で、社会に役立つ言語力を求める立場に立ち、「読むことから書く」というように、教科構造あるいは「内容」への配慮を欠いた「領域」を超えての、過度の「言語活動」の導入は、「国語科」にとっては、大きな問題である。また、「国語科」で学んだ言語の力が、他教科のなかで発揮する力とはなりえないのではないだろうか。
 日本語教育の本質を問い直すこととあわせて、それぞれの領域で、めざすものは何か、どのような学習展開によって、それが可能になっているのかを明らかにしなくてはならない。

(4)古典・漢字の扱い
 本年4月からは、使用される教科書には、改訂された指導要領にもとづいて「古典教材」が数多くもりこまれている。古典の学習が具体的に問題になる。古典の学習をどのように扱い、意味あるものとして位置づけるかは、現場にとっては大きな問題である。
 古典が、現在を生きる子どもたちのものの見方を広げることにもなり、同時に日本の近代という時代や、それに続く現代日本の言語文化を新たに問い直すような学習になりうるか、実践の視点を明らかにしなければならない。
 また、常用漢字表改定へのうごきが教育現場にもどのような影響を与えることになるのか、注視しなければならない。

(5)運動の持続・発展の道筋を考える
 先にのべた「言語教育」の指導の重要性が指摘され、今次教研にも多く実践報告がされている。また、生活の中から題材を選びそれをかきつづる「つづり方(作文)教育」の実践が、子どもの心を豊かにし、認識をふかめつつ文章表現力を育てることになることも、これまでの教研活動では繰り返し確かめてきたところである。
 けれども、こうした実践や考えが、現場の中では十分に浸透しているとは言えない。現場の忙しさは、十分に理解できるが、こうした実践の広がりを遮っているものは何かをあらためて分析し、これまでわたしたちが築き上げてきた成果を、時代の変化の中で、どうひろげ、発展させていくか、60次の教研を迎えた今、その問題もともに考えていきたい。                (文責・田中定幸)

(*注1)参考『こどもたちのゆたかな学びを支援する教育へ』日教組学習指導検討委員会編(2009年2月刊の「国語」の部分)


《資料2》
第一分科会 日本語教育
Ⅰ今日の状況と日本語教育
3.つづり方・作文教育
(1) 何をめざすつづり方・作文教育か
 石川・小からは、学校で話さない子が、日記には自分のしたことや思いを書くようになった。書き続けることで、子どもがかかえている問題やかかわり方の広がりが見えてきたという。大阪・小は、題材ノートを持たせ、「思い出し直し」をさせるなかで、家庭や社会のことへの気づき、認識を深めてきた実践。愛知・小は、自分の思い表現させるために、表現のモデルを提示したり、視点を広げるための「思い出しメモ」を活用したり、読み合う機会を日常化したりすることで成果をあげたという報告。
 ここでは、書くことで子どもの心が開放され、育っていく様子はとても参考になった。そこには教師が子どもの作品をどう読むかが大切であり、伝えたい教師がいるから子どもが書く、そこに「居場所」があるという視点が大きな力になっている。何を目指して書くかは、題材指導ともつながる。生活の中に目を向けるために、題材カードをもたせるなど、何に心が動いたかを自覚させることが必要。「~のために」ということを教師が意識しすぎると、それに合わせて書く子どもがでてくる。「結果的」に仲間づくりが深まったという考え方を大事にしたい。そのことで表現の多様性も生まれてくるし、人権教育にもつながる、という意見などが出された。
(2) 書く力を育てるために、計画的・系統的な指導をどのように行うか
 長野・小は、どのクラスにも集団生活や学習活動に難を抱えている子がいる。「大丈夫、心配のない子」「この子はこう」と決めつけるのではなく、柔軟性を備えた「子どものとらえ方」の大切さを話された。福岡・小は、「生活を見つめ、つづり、思いを伝え合う子どもを育てる作文指導」をテーマに、支部研究としての取り組み。学級開きの「出会い」、展開的な過去形表現の記述、「書き出し」の指導をするなかで、子どもが現実を見つめ、生活を拓く力が育ちつつあることを確信できたという報告。岩手・小は、「どんなことを書いてもいいよ。」「何でも教えてね。」と語りかけながら作文や日記を綴らせ、子どもに寄り添うことの大切さを強調。作品を読み合うことで子どもが心を開いていった過程を紹介。大分・小からは、「書くこと」への抵抗感をなくすための指導のあり方をテーマにした共同研究。4コママンガによるストーリー作文、短作文、「見たこと作文」など書き慣れさせるための工夫例を報告。
 広島・高、夜間定時制という状況をふまえ、「何を」「どのように」書いていけばいいのか悩む生徒に、「型」にはめる表現指導によって、書くことへの抵抗を取り除かせようとする試み。千葉・小は、各学年でつけたい「書く力」を分析し、日常の指導とつなげて楽しんで学べる授業実践を提起。山梨・小は、情報社会に生きる子どもたちに、事実を正確に受けとめ、伝えたいことを明確にして、自分の言葉で表現できる力を育てたいと言う願いから、教科書にある説明文の読み取りから学んだことを生かして、写真を効果的に使って、自分の伝えたい内容をわかりやすい説明文で表現させた実践を報告。
 「型」にはめて書かせたり、「なりきり作文」のような虚構の文章を書かせることについてはいろいろな意見が出た。書きなれていない場合には必要。表現技術をこの機会に育てるためには効果があがるという意見があった。その一方で、型にはめて書せているが内容には疑問の部分がある。もっと生徒は、生活の中で書く題材を持っているのではないか。虚構ともうけとれる作品を書かせるなかではどのような認識が育つのか、あるいは書けない子どもにこそ、展開的過去形表現で文章を書かせることが大事なのだという意見も出された。いろいろな書かせる指導はあっても、「何のため」に書かせるのか、そこで学ばせたいことは何かを常に明らかにしていく必要があるという指摘もあった。
共同研究者からは、題材指導も大切だが、共通体験でも、子どもが選んだ題材についって書いたものでも、教師が想像している以上に、たくさんのことを感じている。それをほりおこしていくことが大事。「切実感」を感じて書いた作品、切実感のある表現に着目して、そのおくにあるものを育てたいという指摘がなされた。
(3)教科・生活の中に書くことをどう広げ発展させていくのか
 山形・高、教え子に当時書いた作文を送り高校時代を振り返ってもらう。そこで書いた思いと今の生活を振り返って書いてもらい、「生活綴方」による小論文の学習が、その生徒にとって「羅針盤」となり得たかどうかを検証をしてみたいと考え取り組んだ実践。岡山・中は、「心のおと」というノートを持たせた実践(文書のみ)。沖縄・高は、自分の意見を生み出し、文章に書き慣れさせるために新聞に着目。興味ある記事をまとめさせ、それに、自分の意見を書く。書いたものを友達に添削しもらい、最後に清書する。課題はまだ多くあるが効果も上がっていると言う。福岡・高は、「枕草子」の学習をきっかけに、「生徒1人1人の作品が四季折々の風景を映し出した」という『折々の栞』を作成。栞の作成と、読み合いで、表現への興味が高まってきたという実践を報告。
 ここではメールの文章についての話もあったが、一言でまとめて書いた文、あるいは「舌足らず」の文について、教師が補うこともあってよいが、その一方で、書かれた背景、思いの根拠を具体的に書くような意識も育てていくことが大切といった話しもあった。
 つづり方教育の全体にかかわっての討論では、実践報告のなかには「なりきり作文」や「型」にはめて書くことで、効果をあげているという報告もあり、型も、実態やねらいに応じて必要だという意見もあった。その一方で、「ひとまとまりの文章」を書かせるときには、それぞれの生活や体験と結びつけて書くことで表現力も育つ。「なりきり作文」を楽しんで書いても、そこで培った力は、自己を表現する力を育てることにはつながらないのではという指摘もあった。
鈴木一策共同研究者からは、指導することも大切だが、困難な時代を共に生きているという教師の視点が大切。子どもにとっては切実感が必要。実践では、意外性、批評性、ユーモアを育てるという観点、自分がわからないから問題にとりくんでいった実践などは意味がある。いろいろな角度からせまってみることも今の時代には大事なことだ。
田中は、文字に「固着」させることによって生まれる「書き言葉の優位性」を実践で活かすことが、その効果を上げるということについては、誰もが確認できたことである。事実に即した文章表現力をどの子にもつけるには、日記のような日々の指導と合わせて、参考作品をつかって、その作品から学び、表現の過程にそった学習を進める単元作りも大切であること。さらには、「ある日のこと」だけでなく「いつもあること」「具体例を入れて説明したいこと」などについての授業の展開を具体化した実践も必要ではないかという話をした。(田中定幸)

3.音声による表現の指導
 新潟・小、考えを持たせるために「書く」。書いたものを「話す」に「つなげる場」を設定、「話す場」と、三つの場をつくってのコミュニケーション力育成のための取り組み。三重・小は、構成や場に応じた言葉遣いを考えさせる一方で、使われているキーワードに着目させて、聞く力を育て、考えを深めようとした実践。兵庫・小からは、音声言語の特徴をとらえて、実際に行われている「対話」を可視可することによって、対話そのものの学習をさせ、そこで育った力を、学習にどう生かしていったか提起。神奈川・小、「伝え合い、理解し合う子どもの育成」には、想像したことを書いて伝えるなど、興味のある事柄を題材に選ぶことが大切だと報告。滋賀・小は、「聞く力」を「聴く力」「訊く」へと高めていくことが、互いに話したい、聞きたいという内的要求となり、「伝え合う力を育てる授業」の創造につながるとディベードでの取り組み。広島・小は、教材をもとに、地域の協力をえて自分たちの住む町の未来を予測する原稿を書き、パネルディスカッションを展開した取り組み。
「対話」については、受け止めること、受け止めて返す指導のきめ細かさが大切。対話が成り立たない理由を、流れの中で教師がしっかりとつかみ、対話をどうささえるか、具体的な方法を描く必要のあることなどが話された。
ディベードについては、対立的な立場にたてないテーマもあるのではないか。地域の課題を追求していくときに、複眼的な見方も必要ではないか。対比的な見方を育てることも大事だが、それを生かして生活にあるいは小論文へとつなげていきたいという意見も出された。
共同研究者からは、何でも簡単に情報が入ってきて、それを理解出来ているつもりでいるが、自分の生活と結びつけて考えた上で、ディベードをさせていくべきだ。言語表現は、最も根源的なところに、感情的なもの身体の動きも入れてとらえる必要がある。「話し下手」の気持ちも常に考えなくてはならない。
音声言語を通じての伝え合いが、実際にどのような形でおこなわれているか可視化して、「対話」そのものを学ばせる実践は意味のあることだ。また、すぐに消えてしまう言語の特徴をおさえて、内容に応じて、どう話すかという構想もふくめて考えなくてはならない。(田中定幸)


《資料3》 
*『生活綴方・その考えかた、すすめかた』(P15~16、百合出版)より。この文章は、国分先生が書いたものと言われているそうです。
   
☆自発的表現に即しての指導
 これは「個々の子どもの自発的表現によりそって進めていく指導のしぶり」といってよい。
(1) まず四月新学期、はじめて受けもった子どもたちに、思いのままの文章表現をさせてみる。その結果を頭において、教師は、子どもたちが自由な表現の意欲をもち、他人が書いたものをよろこんで読みたがるふん囲気をつくるよう努力する。
(2) 指導のためのしくみとしては、①日記をかいて毎日か、何日おきかに教師にみせる。②生活ノート、自由作文帳などをもたせ書いたものを随時に提出させる。③いくつかに分けた班ごとに班ノートを持たせ、毎日班員のひとりが、ひとつの文章をかいて教師に、その班ノートを提出する。④めいめいが、書きたくてたまらないことを、教師にいいつけられなくても書いて、随時教師に提出する。⑤あとでは、詩を自由にかいて教師に見てもらう。⑥教師が、ときどき参考作品をよんでやるなどのことをやる。これをみなやるというのではないが、このうちのいくつかのことをやりつづけるような習慣をつくる。
(3) 教師は、これらの表現物を、そのつどよく読む。ひとりひとりの子に、赤ベンによる指導や膝もとに呼んでの個別指導をする。また、うまれた作品のなかで、学級の子どもたちが表現活動をしていくうえで役だつこと ( 表現意欲喚起、題材のえらびかた、構成のし方、叙述・記述のしかた、推考のしかたなどに役だつこと ) を、学級全員に紹介し、研究させるような鑑賞批評・共同研究の仕事をする。この鑑賞批評・共同研究のなかでは、また、ひとりひとりの子の文章作品を見ていくうちに、おのずと気づいた、学級全体に対して共通に指導すべきことをも、きちんと指導していく。
(4) この鑑賞批評・共同研究の指導の時聞は、週に一回とか十日に一回とかの形でとる。できるひとは、そのとき使用できるようなプリント、一枚文集、少ページ文集などをつくって活用する。
(5) この鑑賞批評・共同研究の時間のおしまいでは、「きょう勉強したようなことに気をつけて、毎日の日記や、自由作文なども書くように」とはげましをあたえる。また、あいだあいだでは、題材のえらびかたに関し、構成のしかたに関し、叙述・記述のしかたに関し、いま必要ないくつかの課題をあたえ、それを実現するような新しい文章を書こうといいつける。一斉に書くこともさせるのである。このとき「遊んだことを書こう」「労働をしたことを書こう」
「しらべて書こう」などとの限定した課題をあたえることもある。
(6) このような指導の進めかたは、あくまでも個々の子どもの真剣な自発的表現と、その実態によりそっていこうというのであるが、教育的指導という点からいえば、やはり意図的・計画的な指導である。そしてこのような指導では、個々の教師の感受性・洞察力と創意工夫が、たいそう重要なものとなる。

☆系統的・体系的指導
(一) まじめな綴方の教師、なかでも四月はじめに、いままでよい綴方の指導を受けてこなかったらしい子どもと対面した教師は、だれでも「子どもの自発的表現によりそう指導」をする。しかし、それをつづけていくうちには、ふと反省をしてみることとなる。はたして自分の指導は、綴方教育の全体系・系統からはずれていたり、必要な指導を落しているようなことはないだろうかと。それは、綴方の教育では、表現意欲喚起に関し、題材のえらび方・主題のたてかた、構成のしかた、叙述 =記述 (説明と描写〉のしかたに関し、推考に関し、鑑賞批評のさせかたに関し、また、文章の形のえらび方に関し、かなりに多くの指導事項があると考えられるから
である。また、自分の受け持ちの学年として、どのへんまでのことを指導するのか ? その目標もあるべきだと反省するからである。それに自分の受けもちの子どもがつくりだした文章作品によりそうだけの指導では、より客観的なものとして、指導すべき必要な事項が出てこないかもしれぬとのうたがいをもいだくからである。ここから、謙虚な教師の心には、系統的・体系的な指導「たよりにできる系統案によりそった指導」への指向がうまれてくる。
(二) その系統的・体系的な指導とは、表現各過程 (表現意欲喚起・価値ある題材とテーマの設定・構成・叙述=記述・推考 ) と表現諸形体とに関した、いくつかの指導事項をふくむ一定の「指導題目」を立て、それを、子どもたちへの課題として、一斉に、ていねいに指導していくしごとを、系統案にしたがって、順次に進めていく指導のことである。そして、これは、意図的・計画的な指導といいうることではさきの「自発的表現に即する指導」と、なんら
変るところがない。ただ、ちがうところは、あらかじめ定められた指導の系統にてらして、全児童生徒に一斉・共通に、必要な時間をとって、綴る作業をさせ、また指導しようとする点だけである。
(三) それでは、一般に、この系統的・体系的な指導の進め方は、いま、どうとりいれられているだろうか。概略としていえば次のようである。
① 「自発的表現に即する指導」を進めつつ、学級全体に 一斉・共通に指導すべきことに直面したときに、指導系 統案にてらしてみて、一定の「指導題目」を立て、数時 間をかけて必要な指導をする。
② 「自発的表現に即する指導」を進めていくが、子ども がつくりだす文章作品に、系統案にてらしてみて、ぜひ 生まれてきてほしいと思われるような作品がどうも見う けられぬ。そのときに、系統案にのっとった、一定の指 導題目による指導をくわえる。
③ 指導がよく進んだ段階、二、三年持ちあがりのときに は、系統案にしたがった指導を主とし、あいだあいだに 自由な ( 一斉課題をしない ) 表現活動を加える。また、ひきつづいておこなわれている日記による指導その他を、それにないまぜる。
(四) 日本作文の会としては、小学一年から高校にいたるまでの、全日本の教師たちが、だれでも指導しなければならぬし、それを効果的に指導できるような指導の系統をハッキリさせるよう、あくまでも努力する。なぜかといえば、創立以来、文部省の学習指導要領をたえず批判しつづけてきたわが会には、文部省があげている指導事項のうち、当然しごくなことをふくめて、それ以上に大事なことを系統的に指導していくことのできる確乎たる指導の体系を公開しなければならぬ全国的責務が課せられているからである。


☆田中提案の骨子☆
Ⅰ.初めに
1.全国教研の日本語部会の共同研究者は、かつて、乙部先生が担当されていた。その日教組の共同研究者のしごとを、布川源一郎さんの推薦などもあって引き受けることになった。国分一太郎先生や乙部武志先生がずっとやってきた仕事を引き受けていくということは、たいへんなことだと思ったのだが、日教組教研の分科会の中で、綴方を中心にし、いろいろな形で、国分一太郎先生の考えた考え方など、全国の方々に伝えていけるといいなと考え、お引き受けした。

2.例年だと、全国教研の日本語部会の共同研究者として、布川源一郎さんが基調提案をするのだが、今回は用事があり欠席するということで、代わりに、基調提案を依頼された。そういうことで、自分なりに考えたことを基調報告したのが、資料1の「ことばの教育の情況と課題」である。

Ⅱ.提案のポイント
1.三つの柱立てをしてきた。
(1)一つは、この基調報告に目を通していただき、今後、これからの日本語部会の中で、もっとこういう面を強調して考えていったらいいのではないかというアドバイス、日本の国語教育をどう高めていったらいいか、どう発展させていったらいいかというアドバイスをしていただきたい、ということ。
(2)二つ目に考えたいのは、つづり方教育の構造、しくみについて。つづり方教育の中の領域を、どのように整理し、考えて、これから進めていったらいいのかということ。それは、資料3にも出ているように、「自発的表現に即しての指導」というふうに言ったり、それから、「系統的、体系的指導」というふうに言ったりしていたけれども、こういう言葉を使いながら、これから先、どんな形でもって、授業展開をしていったらいいのか。そういうものを考えていくときの考え方というものを、ここでアドバイスしてもらえればいいかなと考えている。
(3)三つ目、各地区からいろいろな実践の報告が出されているので、それについて触れながら、今後の作文教育の進め方について考えたい。

2.資料1の「ことばの教育の情況と課題」についての説明。
(1)指導要領が改訂されて、小学校は、今年の4月から、中学は、来年度から、高校は、2013年から学年を追って順次実施され、小、中は、昨年度より、移行期に入っている。

3.この指導要領を支えている学力観のベースになっているものは―
 (1)一つは、2004年に出された、文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」に代表される教育観(キーワード:保守的・古典重視)
 (2)もう一つは、OECDのPISA調査に見られる教育観(キーワード:知識の「活用」力・「基礎的・基本的な知識・技能」の習得)

4.《一、改定のポイント》に関連して―どこが大きく変わったのか―
 (1)「言語事項」が、「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」となり、「伝統的な言語文化」という指導事項が新設された。
(2)これまで、「内容の取扱い」という欄にまとめて置かれていた、学習時の「言語活動例」が、
「2内容」の「A話すこと・聞くこと」「B書くこと」「C読むこと」の指導事項の後に、より具体化されて示されたこと。すなわち、各領域の指導事項と学習活動例が密接な関係で結びつけられ、具体的な言語活動として提示されたこと。

5.《二、「国語」教育の情況》に関して―
新しい学習指導要領の改定を先取りしたり、「移行措置」をはかる中で、日本国中で、どのような学習が多く実践され、推し進められてきているのか。
*田中さんは、12項目(のキーセンセンス・キーワード)を挙げて、〈このような授業展開がされて
きている、こういう授業展開の傾向が出てきている〉と、分析している。
国語に関係した研究会の雑誌等を調べていく中で、導き出した分析だとのこと。今後、さまざまに実施されていく授業を見ていく上でも、これらは、たいへん役に立つものとなると思われる。

6.《三、うかびあがってきた問題点》―
 目的に応じて、目指す言語能力を達成するために言語活動を行う、そのような学習を進めていくことは重要なことなのだが、常に言語活動が指示され、それを優先するような授業ばかりが展開されていくようになると、さまざまな問題が出てくる。
*田中さんは、いくつか取り上げているのだが、一つだけ、問題点を挙げておく。
新指導要領で、具体的な言語活動を数多く「例示」したことにより、教科書等に、たくさんの言語活動が網羅されるようになる。そのことで、「活動」そのものが目的になってしまうような状況が出てくるだろう。子どもも教師も、盛りだくさんの言語活動をこなすのに精一杯となり、本当に、十分な言語能力が育っていくのかどうか、といった状況が生まれてくるのではないか。

7.《四、課題を解決する視点として》―
 (1)学習者である子どもの側にたった視点でとらえなおすことを
  実用的で、社会に役立つ言語力を育てる「ことばの教育」として、コミュニケーション手段など、そのまま「言語活動」に盛り込んでいく授業展開、そこに、ほんとうに、子どもたちに、「生きる力」をつけていこうという発想があるのだろうか。
  今、進行している状況の中で、まず問題にしなければならないことは、「学習者である子どもの側に立つ発想が見られない」ということである。「今の子どもが日々の生活の中で、何に悩み、何を喜びに感じているのか。そうした喜怒哀楽を自覚し、さまざまな学習と結びつけながら認識を深め自己確立へと導くようなことばの教育をどのように展開していくかが、一番大事なことである。」
*この項で、田中さんは、(1)~(6)の6点を挙げているが、(1)の指摘が、一番、大切な点だと思うので、その点のみまとめておいた。

☆田中提案をもとに論議☆
◆(中山)田中さん、ありがとうございました。今日の提案について、何かありましたらお願いします。
◆(榎本)今日の話の中で、〈自分のクラスの実態から出発していない〉ということが出ていたけれど、文字指導でも文学でも作文指導でもいえることだが、自分のクラスの子どもの実態を抜きにして、授業実践が行われていくというのではね。そういう授業を受ける子どもたちもかわいそうだし、子どもたちの実態から出発していない、そういったレポートなどに、助言しなければならない田中さんも、気の毒だなと思うね。
昔は、自主編成といって、学習指導要領を乗り越えてという視点で、けっこうインパクトのあるような報告がたくさん出てきていたけれども、今は、そういうようなのは、ほとんど皆無になってしまっているということなのかな。
◆(乙部)共同研究者、大変だろうと思う。田中さんが、現在活躍している分野のところでいうと、生活綴方における文章表現指導というのは、異端でもなんでもない、まったく普通の道だというふうに考えられるのが、今、日教組教研に出て行ったら、どうもそれはまるで異端といったような状況。そういう面が、相変わらずあるということかね。これからも、官とも、民ともつかないようなレポートが、どんどん、組合レポートとして出てくるだろう。今後も、日教組教研が成立していくということになれば、半官半民どころじゃなくて、学習指導要領を中心とした、全く、純官側のものが、まかり通っていくなどということになるんじゃないかという気がする。
◆(早川)私の例会で、PISA型の実践報告をした人がいる。「ごんぎつね」の報告だったのだが、紹介された子どもたちの感想が5メモでいう文章になっていなくて、1~2文のものだった。それを、うちのベテランメンバーが、こういうふうにしていったらどうだろう等、諭してくれればいいものを、これではダメだとバサッと切ってしまった。これで、周りにいた先生たちがびっくりしてしまった。その人は会に来なくなっただけでなく、若い人たちも、出足が鈍くなってしまった。当然だね、学習指導要領の側からとか、そうでない側からとかいう考え方がなくて入っているメンバーが多くて、ほとんどが、学習指導要領も、実践をする人たちばかりなんだから。
 教科のまとめで書けば、書けるようになるというのは、そんな簡単なものではないことは確かだね。書けるようにするには、身近なことを一生懸命書いて、みんなで読み合っていくのを積み重ねる。その上で、教科のまとめをするならば、それは、大きな効果になる。それをセットにしないとダメなんじゃないのかな。

◆(田中)書かせること自体の意味というのは、すごくある。書く、固着させて、文字で考えるから、それを書いたことによって考え方を膨らませたりするのだから、その重要性は、けっこう、たくさんのレポートの中にはある。(*広島の定時制高校の「私は今、連絡船に乗っている」というテーマで書かせた「想像作文」の例を紹介。)型を決めて書かせると、本当に書くことの嫌いな高校生にとっては、いい点がある、そこに出てくる背景なども浮かんでくるので、その作品を通して、教師が子どもに、働きかけをすることなどもできるといった提案も出ている。 
◆(早川)これ(作品)は、この高校生、ぼくは、書けるほうだと思う。書けないのは、書けないもの、本当に。高校生でも。ま、とにかく形式のことは、よく取沙汰されることだね。
◆(田中)鈴木ちさとさんという人が、ちらっと、こういう作文はというふうに、ちゃんと指摘してくれたから良かったんだけど。一方で、書けないから、何か手立てで、例えば、ワークシートに書いたもので膨らませていこうっていうような、そういった考え方が、一つはある。書くことの独自性、大事さはあるんだけれども、そういった考え方の方向をどういうふうに乗り越えていかなければいけないかというようなことも、一つ、出てきたことだね。
*このあと、田中さんからは、(1)千葉の、「したことを思い出し、楽しく表現する力を高める授業」というタイトルで行われた授業、(2)山梨の説明的文章を学習したあとに取り組まれた、説明文を書かせていく授業の二つが、詳しく紹介された。
どちらの実践も、特徴としては、たいへん、細かく、丁寧に指導が行われている。ただし、そのように、ちゃんと時間をかけ、きめ細かな指導を進めているにもかかわらず、子ども自身に、しっかりした書く力、自ら題材を選び出す力が定着していっているかどうかという点では問題が残るのではないか、と田中さんはまとめている。(→早川:今、田中さんが言ったように、こういう実践を1回やったからといって、そんなに、伸びるものではないと、ぼくも思う。)
*あと、「5つの言語意識」のことが、この辺で、話題となるが、割愛。
◆(田中)問題として考えていかなかければいけないことがいくつかある。
(1)一つは、「日記指導」から飛躍できないという問題。子どもたちに、日記を書かせて、それをみんなで読み合う、そこで留まっているという弱点があるのではないかということ。
(2)それから、思いということについて。子どもの思いを大事にするというふうに誰もがいう。そして、思いを大事にするからということで、思い、思いと、思いばかり書かせることに目を向けがちになっている。しかし、思いが生み出された「背景」とか「事実」、「出来事」というものをしっかりと表現しないと、思いは伝わらないのだという点。
(3)思いを伝えるために必要な「語彙指導」について。語彙の教育は、どこで、子どもたちに育てていかなければいけないのか。一つには、読み方教育。読み方教育の中で使われている語彙が、子どもたちの語彙を増やすきっかけになってること。ものやことと結びつけて語彙を学ばせると同時に、読み方教育の中でも、語彙に着目させていかないと、本当に、豊かな表現力につながっていかないのではないか。
(4) もう一つ、問題にしたかったのは、〈ある日、ある時のこと〉だけで出来事をとらえる実践、それだけでいいのかということ。ある日のことだけでなく、いつも考えていることなど、子どもたちが、現実のものごとをいろんな角度からとらえて気づいていけるような、計画的、体系的な指導というものも、入れていかなければいけないだろう。
(5)それと、みんなが、「教科の中で、書かせる力」ということをいう。教科教育の中で書くことを、どういう位置づけにしていけばいいか。日本語の指導の中で、どういう表現力を身につけていれば、教科の中で、生きた力を発揮していくことになるのか。教科教育の内容を深めるために、こういうふうに書かせればよい、ということを指摘できるようにしたい。日本語の書く活動の領域の、その教科構造というのを、もう一度、考えてみたいというのが、私の課題だ。
(6)国分さんが資料3で書いたような形でいえば、先ほど、自発的な表現に応じた指導と、それから、系統的・体系的指導というふうに言った中で考えてきたこと。そういったものを、どんな言葉で、これからの若い人たちに伝えていったらいいか。このあたりのところを、今後の課題にしていきたい。そういったあたり、アドバイスしていただけたらありがたい。
◆(中山)何か、ありますか、意見など。
◆(榎本)本間さん、何かあるの?
◆(本間)今、ここで討論されているようなことを、何て言うのか、かつて、乙部さんと私で、そういう会話を、講師陣の中で出していっても、会議の話題にならないんだね。(田中:会議の話題にね)。そう、会議の話題に(田中:ああ)。それは、もう、やっぱり全部統一されてね、日教組、そういう活動をやっていかないと進歩しないと思うんだよ、うん。何十年も、私なども勤めたけれどもね。それは、一体、段階的に、こう高めていって、読む力のね、全体のものになっていかないと。そういう全体のものになって欲しいために、私は、そういう研究をしたのだけれどもね。
◆(榎本)はい、同じようなことで。私が、報告者なんかになれた時には、例えば、日記指導から、私は、いつも出発しているんだけれども、限界がある。題材の限界、記述の限界など、さまざまな。それで、私は、高学年を持った時など、聞き書きだとか、新聞を読んで、世の中で起きている出来事について書いて、みんなで考えようなどね。クラスの中からは、どうしても出てこないような題材を意図的に、指導題目を立ててやるようなことをしてきた。本間さんが倒れる前に、私のところに、榎本さん、聞き書きをちょっと挑戦して欲しいというのがあって、その時は、私は、立花小時代でね。この時のおじいさんの戦争体験の聞き書きの作品から、よりインパクトの強い「母の姉は中国に」という作品ができあがっていったわけだけれども、そういう作品は、やはり、日記指導だけやっていたのでは、ぜったい出てこない。クラスの実態を踏まえて、系統的、意図的な、さらに、これこそは書かせたいというものを、1年に、1回か2回は、挑戦した方がいい。田宮さんがよく言っていたが、学期に1回は、指導題目を立てて書かせると、思わぬ作品が出てくる、そして、それを鑑賞することによって、また視点を広げていくというね、そういうことの大切さを、今、話を聞きながら、つくづく思ったね。 
◆(中山)他に何かありますか?
◆(高橋)基調提案が、内容がすごくいっぱいなので、あとからよく考えながら読みたいなと思う。分かち合いの経済学という話が出ていた。経済の仕組みが変わってきているからということなのか。人間の生活とか、心が変わってきているのではないかと、クラスの子たちを見ていて、感じている。楽をして、おいしいもの食べたり、面白いもの見たり聞いたりしようとか。将来は、サラリーマンで、いっぱい給料もらいたいとか。結果だけを重視するというのかな、テストの時は真剣になる。だけど普段の学習の中では、覚えていく楽しみとか、自分の成長を楽しむ喜びといったもの、そういうことを投げかけても、興味・関心を示さない。それが何なのという感じでいる。
自分がなんでここで生きているのかなあとか、そういうようなことは考えないというか、毎日をなんとなく過ごしているというような感じがする。これは、見ていると、子どもたちだけでなくて、若い先生の中にも、そういうような傾向がある。自分の目の前の子どもを見て、何でこの子は、こんなことを言っているのだろうとか、この子が、毎日、同じハンカチを持ってきているのはナゼなのだろうとか、そういうことは、あまり考えないのではないか。
かと思えば、サッカーに夢中で、職員室に、だれそれのサインのあるユニフォームで~す、とか持ってきて見せびらかしたりする。そういう若い人がいるわけ。何か、世の中、あんまり深く考えない方が幸せというような風潮があるのかな。そういった中で、自分は、一体、何ができるのだろうと、あれこれ悩んでいる毎日かな。
 あと、文部省から、こういう内容のものが出てきて、例えば、指導時間、何時間のうちにこれをやらなくちゃいけませんよ、などといったふうになってくると、現場では、中身を考える間もなく、じゃあ書かせればいいのね、話し合いをすればいいのねといったふうになっていったりするのではないか。じっくり立ち止まって考える余裕がさらになくなるし、子どもたちは、これ大丈夫かなとか、これはよく考えないといけないんじゃないかなとかいうようなことを、ぜんぜん思わないまま毎日を過ごしてしまう、そんな状況が、さらに増えていくのではないだろうか。今の学校が、全体的にそうだとは言わないまでも、うちの場合は、それがかなり顕著に出る可能性があるかな。
◆(中山)左川先生、どうぞ。
◆(左川)私は今、江戸川区の小松川小学校で、図書のボランティアをやっているのだけど、子どもたちを見ていて、国語が好きな感じの子がいないんじゃないかなと感じている。提案の中で、田中さんが、「国語科固有の役割を問い直す」と書いてあるけれど、本当にそうだと思う。国語は一体、どうなったんだろうという感じでね。
去年、私は、墨田小に非常勤でいた時、国語の研究授業(「書く」、「話す」を取り上げた授業)があり、見に行った。グループ分けして、話し合いをして、まとめをして、発表するという形の授業。本当に、形だけで、45分の中で、場面ごとに話し合いをさせる、時間が来る、「はい時間が終わりました。発表しましょう。」なんてね。こういうことをやっていて、本当に、国語の力は身につくのだろうか、書く力もつかないし、読む力もつかないのではないかと感じた。
私は、読むというのがとても好きだった。やっぱり、本の一文字一句を読んで、その内容を押さえ、そして、もう1回、読みながらいろいろと考えていく。この作品から、どういうものを自分は学ぶことができるのか。勇気とか、励ましとか、知恵とか。そういういっぱい勉強することがあるのが、楽しかったのだと思う。だから、国語は、すごく好きだった。
ところが、そういう喜びみたいなものを、今の子どもたちは、もしかすると先生たちも、知らないでいるのではないだろうか。
今、私の図書室にやって来る子どもたちは、本が読めない。1年生から6年生まで、「怪傑ゾロリ」だけ。面白いのがあるよと話したりするが、アーノルド・ローベルの「お手紙」も、みんな知らない。あまんきみこ、という名前さえ知らない。
思うのだけれど、今の子どもたちは、語彙力などもそうだが、国語の基礎力を身につける場がないんじゃないか。私の孫を見ていても感じる。どういう場で国語の力を養うのか。
そうやって身についた国語の力があって、さまざまな教科の学習の中で、それは、生きた力になるのだと思うけれど。どうも、そんなのではない、形ばかりの「書く」、「交流」の授業が行われているのではないだろうか。
国語は、もっともっと大事にされなければいけないと思うのに、現場の先生は、ただただ忙しくてね。「国語本来の役割」なんて、現場では、話題にもならないというのが、今の、学校の現状かもしれないね。
◆(中山)じゃあ、工藤さん。
◆ (早川)すいません、話が多くて。先ほどの榎本さんの話は、たいへん、説得力のある中身だった。
それはどういうことかというと、日記指導には限界がある、だから、その限界を克服する意味でも題目を立てて、系統的に、学期に1回、指導すること、そういう見解で実践しているという内容だった。
 この話は、ぼくは、5分間メモのメンバーにも、かなり、納得はいくのかなあと感じた。
 「はじめに指導題目ありき」は、いかがなものかと考える人々がいる。これに対して、榎本さんが話した言い方と考え方、そして、そういうスタイルで実践をしているということであれば、歪めて受け止める人意外、かなりのところ、説得力があるのではないか。
榎本さんの発言の内容を再現すると、
①「日記指導」A。
②「指導題目を立てた(あるいは、系統的な)指導を、年に何回か入れる」、これがB。
③いろいろ雑多にある中で、このAとBを、ちゃんとセットにして指導していくのが、効果ある指導だとぼくらは考える
こういう提起をしていったら、多くの人たちに、かなり説得力があるのではないか。今、榎本さんがいった話から整理してみたのだけど、どうかな。
◆(高橋)A、Bをもう一度、言ってください。
◆(早川)Aというのは、日記指導ね、これは、限界がある。
◆(高橋)これは、子どもが自発的に書くことを選んで書く、日記指導のこと?
◆(早川)そう、日常的、継続的、自発的な活動としての日記指導、日記の活動。これだけでは限界がある。けれども、ここから入っていく。そして、B。指導題目を立てて(系統的な)指導を行っていくという設定を作文の時間に、設ける。これが、意図的・計画的な指導の中身だね。このAとBがセットになって初めて、子どもたちには、考える力、書く力も育つだろうと。
こういったあたりを、多くの人が理解すれば、このやり方、考え方は、拡がっていくのではないか。
ぼくは、この話を、今度の5分間メモの例会で話してみようと考えている。
◆(田中)今日渡した国分さんの書いた資料の中に、今のようなことに触れながら、自発的表現に即した指導について書いてある。そして、具体的に、どのような指導が、表現に即しての指導になるかというふうなことが、ここにも出てきている。だから、ここを土台にしながら考えていきたいというふうに、ぼくも思っていて、そういう意味もあって、今日、この資料を持ってきたわけなのだけれども。
*このあとも、田中さんの話と早川さんの話のやり取りが、3分14秒ほど続くのですが、割愛。
(乙部)早川さんの今、提起したことがひじょうに具体的なことでね。榎本さんのところから、今、早川さんが出発したので、あえて言うのだけれども、日記指導というもの、自発的なものが、いつでも、系統的・体系的な、あるいは、意図的な指導と対峙しているものじゃないわけだね。自発的な表現意欲に応じた指導というものも、指導をする側からいうと、実は、意図的、系統的ということが、うんと含まれているわけ。だから、優れた教師というか、綴り方指導というものをよく分かった教師というのは、いわゆる、普及していく、「拡がり」というものと、うんと深めていく、「深化」というものと、いつでも、交互に、考えながらやっているということになるんじゃないだろうか。自発的表現に即しての指導というものと、系統的・体系的な、あるいは、意図的な指導というものとは、いつでも並行してあるのじゃなくて、交互の浸透作用をしながら進んでいくと考えていいのではないか。今日は、榎本さんの話から早川さんの今のまとめ、たいへん得るところが多かったと思う。
◆(中山)榎本さん、どうぞ。
◆(榎本)豊島作文の会で、3月に、鈴木由紀という人が、今度、提案する。4年生の実践なのだが、いわゆる、教科書の中にも、「生い立ちの記を書こう」みたいな単元があって、指導題目でこそないけれども、まだまだ、教科書の中にも、それをうまく取り入れていけば、役に立つというものがあるのではないか。
教科書というのは、傾向としては、若い人は、特に、大事にする傾向があるのでね。ちょっとうまく自主編成すれば、まだまだ、若い人たちにも、アピールする力になっていくのではないかな。
豊島作文の会は今年で42年続いている。思うのだけれど、サークルには、いろいろな人が来る。その中には、たしかに、つたない実践報告をする人もいる。けれども、そういう時には、やはり、みんなが配慮して、「ここのところはすごくいいですね」というふうに、いいところを褒めるなどして、バッサバッサは切らないね。そうでないと、その人、イヤになっちゃうからね。
豊島作文の会には、かつて、切れ味の鋭い関口さんという人がいて、いつも、切りまくっていたけどね。だから、関口さんには、「二次会では、少し褒めてよ」、つって(ハッハッハ)、言っていたね!逆に、同じベテランの人では、桐山さんなんて人が、元気に一緒にやっているけれども、すごく鋭く分析をして話してくれるわけね。だから、そこらへん、やはり、全体の雰囲気を考えてやっていかないと。5分間メモのベテラン二人がどういう発言をしたのか詳しくは知らないけれども、やっぱり、配慮しないとね、サークルってのは、続かないなと、感じるね、はい。
*このあと、日教組教研の全体会で、記念講演をした神野さんのことが話題になりましたが、カットします。
◆(中山)よろしいですか。では、今日は、これでとじます。
                                                     (文責:工藤)

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