『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

綴方理論研究会 11、12月例会のご案内(2018年)

綴方理論研究会 11、12月例会のご案内(2018年)

綴方綴方理論研究会・11月、12月例会のお知らせ
◆日時・場所 11月例会は、第12回国分一太郎「教育」と「文学」研究会《学習会》へ 。
巣鴨地域文化創造館 8時50分集合。

12月例会  12月15日(土)午後1時~
場 所   駒場住区センター 1-22-4
(渋谷駅より、京王井の頭線、最後尾に乗車し、駒場東大前駅下車。12時45分頃改札口にお出でいただければ、一緒に直行。) 

(1)講 義   乙部武志さん とつおいつ 104回  
(2)第12回国分一太郎「教育」と「文学」研究会《学習会》の反省
(3)提案 田中さん工藤さん作成のカードの検討(10月配布)

◇10月例会で話し合われたこと (名前敬称略)
・第12回国分一太郎「教育」と「文学」研究会《学習会》の準備。
・今年度会費納入者50人(10/31日現在)昨年45人。
・当日の参加予定者26人確定。昨年度33人。あと10人!
・当日の司会者の確認。(片桐弘子・田中安子・小山守・榎本豊》
討議したこと
 とつおいつ103回。大分 体が厳しくなったと言いながら、大切な訴え(乙部武志)
2011年「教師教育研究」という「研究紀要」に、「つづり方運動の目指したもの」という文章を載せた。綴方理論研究会の歴史にも関係する。そのことに関連して、「いま、なにをどう書かせたいか」(明治図書)の3部作に国分さんが書いた「『永遠の課題』 としての文章表現指導」は、もう一度みなさんで読み合い学習する必要がある。

 復刻「生活画の起源」(昭和8年・長瀞小学校)小山提案
9月例会の時に、途中経過として、その内容の紹介が丁寧に語られた。今回は、復刻「生活画の起源」のフオント化を終えてとして、「まとめ」の報告だった。想画についての村人の声。「この頃、子供ら。おもしろい図画書くようになったな。先生。」などと、地域で、長瀞の実践が、温かく受け入れられていたことが理解できる。まとめとして、「自身がどのように関わりを持って暮らせば良いのか」と考えさせる教育。 人格形成を目的とした教育が昭和初期、第2次世界大戦の前に行われていることに驚きを持ってしまった。と結んでいる(小山)。                                
1927年佐藤文利が赴任し、1930年国分一太郎が赴任し、大きな教育実践として花開いた。最盛期の1933年全国児童画展で、100点を超す作品が入選し、全国に名を轟かせた。1933年県指定の研究会には、たくさんの人たちが集まってきた。多くの参加者が、感動を持って参加していたに違いない。しかし、その中に、「法令に基づきながら実践しているのか?」と一部疑問を持って質問をしている者もいた。それらの質問には、上手く対応したようだが、当局は、徐々に国分一太郎には、警戒心を持っていたに違いない。国分一太郎22才だった。 1937年「教室の記録」相沢とき共著)を出版し、千葉県市川市の国府台病院へ入院し、翌年退院するが教職免職。 (文責・榎本)

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