『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

綴方理論研究会 9月例会の報告

綴方理論研究会 9月例会の報告

■9月例会(2010.9.25)
報告―高橋朱美さん  司会-榎本(豊)・記録―工藤

*9月例会は、榎本邸で実施されました。

*今回の提案は、本来は、6月例会(6月25日)でやっていただく予定だったものなのですが、高橋さんには申しわけありません、諸事情で延期していただいておりました。

*参加:高橋朱美 榎本豊 榎本典子 左川紀子 田中定幸 
    早川恒敬 草木勝弘 工藤哲 中山豊子 貝田久 
    大須賀敬子

《提案》
「子どもの心を受けとめる」           
      
          高橋 朱美(鴨川市立小湊小学校 4年)

1.クラスの子どもたちについて
(1)受け持った4年生は、男子6名、女子14名の20名の学級である。
20名のうち、女子2名は、特別支援学級に在籍の子で、朝の会と帰りの会、給食の月、火、木は、一緒の教室で過ごす(特別支援学級の担任の先生2名も。つまり、子どもたち20名と教師が3名となる。)国語、算数、道徳の時間は、2名は、別な教室で支援の担任と共に学習。

(2)この四年生は、幼稚園の頃からずっと同じメンバーで学年が上がってきている。

(3)小湊小に転勤してきた時に、この子達が入学してきている。一年生の時や、二年生の時、昨年度の三年生の時にも、さまざまな場面で、この子たちを見てきたし、接してきた。ダメよ、これはいけないよというような注意も、何度もやってきた。

(4)4年担任となってから見えてきた、気になるところとしては、次のようなものがある。
① 6名の男子は全員が第一子で、器用さが不足かナ、人任せ、幼い感じが残る。逆に女子は、第二子、第三子が多くて気が強い。男子と女子の精神的年齢の差は2~3年以上は離れている感じ。
(田中:「年をとってもね、それはね、かわらない」 高橋「えっ?」)
  ついこの間、運動会練習のために飲み物(水筒に水と氷)を持参させていた時のこと、帰るころになって連絡帳を書かせていると、氷をガリガリかんでいる子がいるので、「だめじゃないの、氷をかんじゃ」と注意。しばらくして、連絡帳を持ってこさせると、また口の中に氷を入れている。叱りつけると、真顔で「今度は、なめてます」という返答。衝撃を受けた。ことばを額面通りにしか受け取らない、こういう傾向。男子に。
② 水洗バケツの水をこぼしてしまった子がいても、誰か急いで雑巾を持ってくるなど見られない。
(困っている子がいても知らん顔、こどもの気持ちがバラバラ)
③ 人を怒らせるようなことをわざと言って、怒ってうろたえている子を見て楽しんだりするようなことがまかり通っている。
④ 人がそばに来ると、わざと「オエッ」と言ったりするようなことも。
⑤ 暗に、あの子は「勉強ができない」とバカにするような子も。
⑥ 担任や他の先生が何か指示などを出しても、それに対し、
「めんどくせえ」 
「え~?!」
「はあ~?」
「なんでこんなことやんなきゃいけないの」
等のことばが返ってくる。素直に指示に従おうとしない。
(こんなことばが返ってくる中、4、5月は、精神的にかなりマイッタ!)

(5)方針を決める
① 書いて、それをみんなで読み合うことでみんながどんなことを考え、感じているか、みんな同じなんだねと気づかせ、確かめさせていく。
② 書いた作品を通して、ほめてほめてほめまくっていく。
③ 学校生活面では、厳しく担任としての要求を出していく。

2.闘争を開始する
(1)  始業式の日のことを書く
4月5日、始業式の日に、「今日から四年生だね、どうだった?今日、朝のことから今までのことを書いてみましょう。」ということで、書かせてみた。それを『一枚文集 なかま』《始業式…たんにん発表が楽しみだけど…》シリーズとして、次の6日から配布、朝の会でみんなで読み合っていった。

「なかま」
小湊小学校二十人、四年生の「なかま」です。
みんながどんな生活をして、どんなものを見て・聞いて・感じてい るのかな。
いろんなことを知り、分かり合い、みんなでのびていきたいね。
(4月6日付け、No.1号)


作品1 『新しい先生の発表』
                                   松 本 伊 代
 朝六時三十九分におきました。今日、新しい先生を発表する日でわたしはたんにんの先生は、だれかなと思いました。それで四年生の発表で、たんにんの先生はだれかなと小ちゃい声で言っていました。そうしたら高橋先生だったのでがっかりしていました。ほんとうは、わたなべ先生がよかったなと思いました。なんで高橋先生がたんにんになったのかききたいぐらい、がつかりしました。でも、そのうちなれてきて、べつにいいやという気持ちが少しあったのでべつに高橋先生でいいやと思いました。でも、やさしくしてほしいなぁと思いました。


作品2 『おきてからのできごと』

                                 大和田 瞳
 朝六時ごろねてるへやへ、母ちゃんがきた。しかしまだねむくて、二度ねした。
六時半になっておきた。まだねむかつた。下にいって、夜用いした服をきた。歯をみがいて朝めしをくった。家をでるじゅんびをして、外に出た。地面は、びしょぬれだった。学校について四年の教室にきた。せきをどこにすわればいいかしらないから、てきとうにすわった。たぶん辻先生がいった。
「三年生の時とおなじようにしましょう。」といった。だからそういうふうにしてすわった。あたらしいノートをもらった。ほうがんノートだった。たいいく館にいって、だれが先生かたのしみだった。四年生の番がきた。めっちゃたのしみだった。なのに先生が「たかはし」先生だったからテンションがいっ気にさがった。なぜかというと、兄ちゃんのたんにんがたかはし先生の時があってたかはし先生のことを「ねっけつパカ」というあだなをつけていた。たしかにそうおもった。みため、めんどうくさそうだった。たいいくかんからかえるとちゅう先生が一こといった。なんていったかわすれたけどしずかにしろみたいなことをいった。やっぱりめんどくさそうだった。教室にかえってきて、れんらくちょうをかきはじめて、ゆうやくんが『ひらがな』のことで注いされていた。やはりめんどい先生だとかくしんした。 
さく文みたいのを書くといったのでよけいめんどくさい先生とかくしんした。だから、この作文みたいなものにはしょうじきにかこうとおもってこの作文をかいた。


*四年生の担任は、「高橋朱美」先生と紹介された時、新四年生たちから「え~?!」という、体育館中にひびくような、すごい声が上がったそうです。上の二作品のほかに、あと二作品を載せておきます。
二十人ほぼ全員(ひとりだけ、「高橋先生は、いい先生だ」という題で書いた子はいた)が、困惑というか不満たらたらを並べています。それを、高橋さんは、4月14日までかけて、みんなで全員のものを読み合っていきます。子どもの作品の下段には、「どきどきしたことを書いたのが、よいですね。」、「がんばろうという気持ちがいいです。」、「ずばりと、一番言いたいことを題にしました。」といったコメントが書かれています。子どもたちが持ち帰る一枚文集『なかま』、こんなすごい中身を保護者の人たち、どう思いながら読んだことでしょう。

作品3 『どくをちゅうにゅうされたきぶん』
                                                   影 山春 輝
 朝おきてまたねた。きがえてパンをたべて学校にいった。どくしょをしてそうじをした。先生のはっぴょうでどきどきした。四年生といわれて朱美先生といわれたとき どくをちゅうにゅうされたきぶんだった。きょうしつにかえって、れんらくちょうをかくときなんだかなれたきぶんだった。で いまさくぶんをかいていて すこし めんどくさかったけど たのしかったです。

作品4 『たんにんは、高はし先生』
                                                   金 高 祐莉花
 朝目がさめたら、雨の音を聞きながら朝ごはんをたべました。学校についてから、たんにんの先生は、だれかなと考えながら本を読みました。それからろうかにならんで体育かんへいきました。あたらしい先生が七人もいました。始ぎょう式でたんにんの先生がきまりました。わたしがきぼうしていた先生がおきよし先生だったけど高はし先生だったのですこしざんねんでした。教しつにもどってから高はし先生が「シャーペンきんし」といったのでわたしはふでばこの中をみたら一本だけけずってあるえんぴつがあったのでラッキーと思ってそれをつかいました。シャーペンが一年間つかえなくてざんねんだけどえんぴつもいろがこくてみえやすいからまいいかと患いました。らい年はシャーペンがつかえるせんせいがいいです。

*学級文集 なかま』《始業式…たんにん発表が楽しみだけど…》シリーズの最終日(4月14日)、最後に、高橋さんは子どもたちへ、次のようにメッセージをして締めくくっています。

みんな、四月五日のことを、すなおに、正直に書いてくれまし た。とてもうれしいです。
じつは、 ( たんにん発表のとき、みんなは「ええー。」といやそうな声をだすだろうな ) と、
よそうしていました。ですから、じっさいにみんなの声をきい  て、 ( やっぱりね ) と思ってい
ました。 みんなが一年生だったころから、いろいろ注意するこ とが多かったので、みんなに
とってはうるさい先生だったと思います。このわたしが、四年生 のたんにんになってしまった
 のですから「ええ~。 」とも言いたくなるでしょう。
しかし、これはもう運命だと思って、なかよくやっていくしかないですね。
いろいろなことをしていくうちに、おたがいにいろいろな面が見えてくるでしょう。今まで
いっしょにすごしてきた友達の意外な面にも気づくかも知れません。
これからの一年間がとても楽しみになってきました。どうぞよろしくね。


(2) 書かせ続ける
・土日(4月10日、11日)に作文の宿題
 ・授業参観 4月19日(月)
・内浦山県民の森への遠足 4月22日が雨のため26日(月)に延期
・5月のゴールデンウイークのこと
 ・5月11日(火)鴨川消防署天津小湊分遣所の見学
・5月14日(金) そらまめとり 
・5月26日(水)天津わかしお学級の四年生と一緒の東京電力エネルギー教室 給食 ドッジボール 
・5月28日、29日、6月上旬のこと 
・6月9日(水)体操発表会、プール掃除

 こんな感じで、最低週に1回のペースで書かせ続け、1枚分集にしてみんなで読み合っていった。


(3) 対決は続く
そんなふうにしながらも、4月、5月と、さまざまなできごとがあり(「うそつき事件」、「宿題を必ずやりなさい」等」)、子どもとのきびしい対決も続いていた。毎日、毎日、いろいろなことがあり、子どもたちが帰ったあと、(ああ、今日もやっと終わった…。)と思う日が続いた。


(4) それでも
4、5、6月と、毎日、いろいろなことがある中、ずっと、一枚文集「なかま」を朝の会で読み続けてきたのだが、たまたま忙しい用事があって一枚文集を出せなかったりすると、子どもたちから、「今日はないの?」と声がかかるようになる。「ごめんね、忙しくて作れなかったんだ」と言うと、「あ~あ」とかっていう感じ。子どもたちの側にも、書く楽しさ、読む楽しさ、お互いを知る楽しさみたいなものが、分かってき始めたかなあというような雰囲気になってきた。


(5) 「いつも作文」と「ある日作文」の違いを見つける学習を
6月16日の授業参観のときと、22日の国語の時間を使って、「いつも作文」と「ある日作文」の違いを見つけようの学習をした。その後、「いつも作文」の参考作品をいろいろ印刷して読み、取材を続けていたのだが、学期末に突入、一学期中は、このあとの実践ができないでしまった。
 二学期、さらに続けていく予定。


(6) リレー日記をスタートさせる
 書き、読み合うことに、親も巻き込む必要があるかなということで、6月21日からリレー日記を開始した。
そうすると、リレー日記の中に「いつも作文」の作品が出てきたので、さっそく紹介をした。


 
作品5 『お母さんとお皿あらいをしたこと』    6月22日(月)
                                  吉野 ひな
 私は、いつも、夜ごはんを食べ終わったら、お皿あらいをお手伝いしています。
 私の家族は六人なので、お皿やお茶わんをあらったりふいたりするのが大変です。
でも、なれてしまうと、とても早くかたづけられます。お皿やお茶わんが少ない時
は、お母さんが、
「今日は、お皿が少ないからへやに行ってていいよ。」
といってくれるので、私は、
「わかった。」
と返事をして、へやにもどりながら、
「少ないなら、全部一人でおかたづけしたかったなあ。」
と思います。だから、今度、そう言われたら、
「一人で全部やってみるよ。」
と言おうと思います。

さらには、「ある日作文」だが、男子と女子が一緒に遊ぶ、こんな日記も登場。 


作品6 『ゆりかちゃんと遊んだこと』      6月24日(木)                   

                         中村 優太
 ぼくは、今日ゆりかちゃんと遊びました。
さいしょに、ポケモンカードゲームをやりました。勝つには、
相手の、ポケモンを全部たおすか相手の、カードをなくすか
です。ぼくは、ゆりかちゃんとたたかって勝ちました。
おもしろかったです。
その後、外に出てボールで遊んでいました。そしたらひなちゃ
んとあおいちゃんがぐうぜん来ました。皆で遊んでいたらお母
さんがむかえに来ました。お母さんとゆりかちゃんのお母さん
が話していたのでまた遊んでいました。
 それでしばらくした後帰りました。楽しかったです。

*男の子と女の子が遊んだという、こういうようなことを書いてきたら、以前ならいろいろなことを言われるので書いてこなかった。こう書いても大丈夫になってきたんだろうと思う。
クラスの子の名前が、いろいろ出てくるので、ああやっと友達同士でつながってきたかなあと感じる。

また、祖父を思うやさしい気持ちの表れた作文もリレー日記の中に出てきた。

作品7 『おじいちゃんの大きなテレビ』
                       6月24日(木)
                      
                       小林龍平
 2月の終わりに、おじいちゃんが亡くなってしまいました。それで、
おじいちゃんの家にあるもの一つ、ぼくの家でもらうことになりまし
た。おとうさんは、大きなテレビにして、家に「アナログ」ではなく、
「地デジ」をもらうことになりました。すごく大きくて、スピーカー
もついていました。それから、すごくぼくから見て、だれよりも、
でかくて、かっこよくて、きれいにうつります。あと、おじいちゃん
は、やさしかったので、また、ぼくは、おじいちゃんにやさしくして
もらったようなので、心の中で、「ありがとう」をいいました。
 おじいちゃんのテレビは、長生きしてほしいです。


     
*文章がまだまだ説明不足なところがあり、いろいろな面で、読み手によく分かるように書く等、指導を続けていかなければいけないのだが、それでも、ああ、この頃、こちらの気持ちと子どもの気持ちが少しずつ通じるようになってきているかな、そう感じ始めている。


二学期も、子どもたちとともにがんばっていきます。

*1学期が終わって、それまで出されてきた1枚文集「なかま」をまとめて、
『学級文集 なかま(一学期)』
が発行されています。
子どもたちの作品だけでちょうど100ページ。その最後のページに興味深いグラフが載っていました。一学期の終わり、4月(以前)より少しでもよくなったところあるかナということで、子どもたちからアンケートをとってみたのだそうです。高橋さんの「あとがき」も一緒に、載せておきます。


 高橋さん、お疲れ様でした!


アンケート

あとがき
「ええ ~。なんで高橋先生なの ? 」
と、不満だらけの気持ちで始まった四年生一学期。

「宿題をするのは、当然です。」
「勉強は、面倒なものです。だからがんばるんです。」
「『うるせえ』ではありません。『静かにしてください』と言いなさい。」
などなど……

何度も何度も、言い続けて一学期が終わりました。たぶんみんなの耳には、タコが
いっぱいできたでしょう。そのかいあって、一学期のふりかえりをしたら、いろいろ
なことが「前より良くなった」と思う人が多かったです。
ゆっくりとした歩みでもいいのです。少しずつ自分のことや友だちのこと、学級の
こと、学校のこと、世の中のことなどを見つめながら、進んでいきましょう。


3.話し合いから(提案を受けて)
A:①大変な学級だ。そんな中、よくこういうふうに取り組んできたなあと思う。子どもたちが、書きながら変わってきている。
  ②軽度、中度のアスペルガーの子どもたちが、今、どこの学級にもいるのだけど、こういった子どもたちがたくさんいる中で、こうやって書かせていくということは、非常に重要なことだと思う。書かせることは、子どもが変わることなのだというあかしというか、証明、立証になっている。
③『学級文集 なかま(一学期)』は、一学期編というのだから、二学期編も出るわけ?
   ―高橋:そうですね。
④一学年一担任、その点では、取り組みやすい?
   ―高橋:はい。
B:①担任発表時に、「え~」なんてやられたら、ふつうならめげる。高橋さんが、それを全部受けとめていってるのがすごい。
②一枚文集にしてもそう、リレー日記にしてもそうだが、書くこと、読み合うことを通して子どもたちを少しずつでも変えていく、そこに絶対持っていくんだみたいな、高橋さんの思いのようなものが感じられて素晴らしいなあと思う。
③「作品2」の瞳さん、「めんどくさい」という意味のことばをいくつも使っている。「作品4」の子は、「シャーペン禁止」にたいして、マ、しかたがないかと最初逃げて、さいごで、来年はシャーペンが使える先生がいいというふうに書いている。この子たち、3年生の時には、「めんどい」注文をつけられないできているのではないか。
④「うそつき事件」という命名のしかた、高橋さんがAさんのことを「うそつき」と言っている意味だったら、使い方として変。
A:①3年生、4年生というのは、さまざまな問題をいっぱい投げかけてくる学年。だから、いろいろな    
 事件、現象が出てきても、それを困ったことだと考えるよりも、ああ、彼らは、今、そういうこと
を勉強している時代なんだ、くぐり抜けようとしている年齢なんだと考えるといい。3、4年の二
年間、または、4年生の一年間をどうクリアして5年生に行くかが問題だと思う。
  統計では、今、学級崩壊が一番多い学年は、5年生。なぜ、5年生に多いのか?これは、3、4
年生をどうすごしてきたか、どう学んできたかの関係なのだ。この時期、しっかりした学びが行われていけばクリアなのだと思う。それが「ない」と、5年で崩壊が起こる。
  ②高橋さんの話の中に、悪態をついて、言ってはいけないことを口にする子がいるということが出ていたが、人前で言っていい、良くないというのが分かるのは、通常の発達だと8歳らしい。普通は、8歳くらいの年齢で分かる。
ところが、これが「分からない」のだから、それを言われたらイヤだということを知らせないとね。私はイヤだ、ということを書かせて、何がイヤだったのか、どうイヤだったのか、みんなで読み合う。言った本人も気づいていく。3、4年生というのは、そういうことが有効な年齢。もめごとが起きたら、これやるべきだね。
C:①気になったのだが、4年生最初の、始業式の日のことを書いた作文、こういうことばが出てくる
ということは、やはり3年生の時の育ちが検証されるべきだと思う。つまり、教師集団の問題というのが浮上してくる。
 教えるべきことはちゃんと教えよう、子どもに嫌われてもいいからとにかくきちんと教えよう、そういうふうなスタンスで、全教職員があたっていかなければいけないということ。
子どもに何か言われて、「ああ、いいよ。」みたいに、子どもに受けようとする教師が学校に一人でもいるとだめになるね。子どもはどんどん要求を出してくる。それに対して厳しく(一貫して)対応していかないと。教師の在り方というのに尽きてくるのだが、いつも話し合いながらお互いを高めていくということを学校全体としてやっていかないとダメなんじゃないかな。
  ②「九歳の壁」とか「十歳の壁」とかいうことばがある。「つ」のつくうちに仕込め、と昔から言われているよね。人間、経験で物事をつかんでいくということは大事なこと。いろいろなトラブルを起こす中、さまざまな経験を通して、迷いながらも成長していくというのは一方にはある。しかし、人に悪口を言ってはいけない、人の嫌がることをしてはいけないとかいうようなことは、一方できちんと教えていく必要がある。「絶対に仲良くしなければいけない。それは、なぜなのか…」というように私は教えてきた。人間の真理は、きちんと教えていくことが大事。それが、「つ」のつくうちに仕込めということになるのかなあと思う。
  ③作品2の瞳さん、「そらまめとり」(5月14日)の文章で、使っていることばが変わってきている。4月とはまったく違う。成長の結果が出ている、うれしい作文だ。
A:①瞳さんの作品(作品2)で気がついたのだが、この子は、「ナンバリング」の意識で書いている。つまり、
  なぜかというと、1……、2……、3 …… と、番号こそ使っていないが、そういう書き方になっている。
  ②こういう考え方はいいよとほめて、子どもたちに教えてやるといい。そうすると、こういう書き方がクラスで共有されて財産になっていくね。
D: 同意見。私の場合、ナンバリングとは言わないけれど、何か思ったらその考え方の根拠になること、だから、いいと思ったらいい根拠、悪いと思ったら悪い根拠、その場面なり事実をしっかり書く、ということをずっと指導してきた。
A: 「なかま」に載るというのは価値のあることだ、ということを分からせていくことも大事。「作品2」は、そういう意味でいい作品だといえる。
D: 「作品2」を読んだ親たちが面白かったねえと話していたということが出ていたでしょ。それは、この迫品がよく分かるからでしょ。それが、今言ったこととつながっていくんじゃないかな。
C:子どもの作品を載せる時は、明朝体、ゴシック体いろいろあるけど、教科書体がおすすめ!
D:①学級経営にかかわることだけど、「うそつき事件」の話の中に、「私は四年の担任をやめます。」と教室を出た、とあることについて。合唱をやっていても、指揮者が「こんな、教えてらんない!」とか言って、似たようなことをやったりすることもある。しかし、こういう行動は何の意味もなさない。子どもから離れるということは絶対にやってはいけないと思う。だから、こういう時、どうしたらいいのかというのは、一つの議題として考えていかないといけないのくらべじゃないか。
  ②子どもと子どものつながりを深めていくために、どういうことを書かせていったらいいのかな。
さっき出たイヤだったことというのも一つであるし、うれしかったこと、友だちのよいところを見つけましょうというのもいいかも知れない。
A:①昔は、「おまえ、帰れ!」と言ったら本当に帰っちゃったことがあった。これでは、あとになって困るわけだ。困っちゃうことは言わない方がいい。今は、額面通りに受けとめる子が多いから、校長先生のところに行ってきなさいのほうがいい。
②トゥーレット症候群、脳脊髄液減少症について、講義。
E:①先ほど、「なぜかというと」ということについて話が出ていたが、たとえば、昔の作品でいうと、〈ツバメが南の国に帰った〉という、山形の佐藤喜美子さんが指導した作品がそうだね。いつも見て
  いたツバメがいなくなった。ツバメは、南の国に行ってしまったんだろうか、ということで、小学
一年生なのに、いつも見なれたところだけじゃなく、何箇所も見てくらべていき、あそこもいなくなった、ここもいなくなった……、それで、最後に、やっぱりツバメは南の国に帰ったんだなと結論を出していく。すぐれた作品があったね。
  ②私が指導したのでは、浅間山の火山灰を題材にした作品があって、これもいい作品だった。ベランダのところに白い粉のようなものがあり、お母さんから、ニュースでやっていた噴火した浅間山の火山灰じゃないかと言われる。その子は、「そうかなあ。」と言いながら登校していくわけだけど、学校に行く途中、友だちと一緒に白い粉のようなものがあるところを何箇所も確認をしていくわけ。そして、最後に、ニュースでやっていたけど、やっぱりこれは浅間山の火山灰なんだ、東京のこんなところにも来るんだなあと結論を出すんだね。
  ③この二つの作品と同じように、いろいろなものをくらべて最後に結論を出していくというものの見方、田中さんの本の中にもそういうのが出ていたけれど、これは、作文の一番大事な方法だと思うな。
  ④学年に関係なく、一年生でもいい、こういう見方、方法を使って書いている作品を見つけたら、これはとてもいい見方をしているよと、ぱっと指摘してあげるといいかなと改めて思ったね。
   -早川:そうだねえ。
A: 考えるっていうのは、「くらべる」ことが始まりだから。
D: 「見る」ことが始まりじゃないですかって。
A: 見る?
D: 見るじゃないですか?
A: ああそうですよ。
F: うらづけになるものがないとね。
   光村の新しい1年の教科書の中にね、「なぜかというと」と言わせている教材があるんだなあ。
E: だんだん表現が豊かになったら「なぜかというと」というのは、1、2年ではしょうがないけれども、中学年、高学年ではそういう表現はしないほうがいいよね。
F: 具体的なことを入れた方がいいということ。たとえば、1に、2にといった時に、やっぱり子どもたちが、1のうらづけをちゃんと取っているかどうか。考え方だけが先行しちゃ困る。とらえ方というのは大事だけれども、とらえ方と同時にその内容が伴ってとらえていかないと難しくなる。 
  ああ形式だけだとかっていう…。
D: 教科書だと形式だけを追うのが多いわね。
G: 始業式の日の作品、子どもたちに正直なことばを出させているのがすごいと思う。私だったら、「え~」なんてやられたら本当にショック。高橋先生の場合、何か余裕が感じられるということと、どんな対応でもしてやるゾ、というような強さが感じられて…。それが、その「ねっけつ」なのかな。「ねっけつバカ」って、子どもの感性すごいナ、的を得ている!高橋先生、今までも、これからも、熱血さで、ずっと一本すじが通っている(いく)んだろうな。
    ―高橋:「ねっけつバカ」というあだ名をつけたこの、瞳さんのお兄ちゃんは、3年生で受け持っていて、「ぼくはぼく」という面白い作文を書いてました。この時も私、闘ってましたねえ。
G: 聞きたいんだけど、文章表現的な良さとか、内容的な良さとか、先生はこう読み取ったよ等、
しるしをつけて書いてあげた方がいいの?
F: 一年中、そんな細かく書く必要はない。そんな細かく、形式をきちんとやり通していたら文詩集を出せなくなってしまうよね。時には、適当に見やすくしていいと思う。
G: 自分の中にある読み取りの観点みたいなものはあった方がいい?
F: それはあった方がいい。
A: そうだね、教師の方では、なくちゃダメだろうね。
F: それも時期の問題がある。早い時期からそんなこと、細かいこと、言えるかどうか。
D: だから、みんなで勉強する教材にする時は、やはり見方、それから文章の表現の仕方?そういうのをつけておく。そうすれば、ほめたり、補ったりしていく参考になるんじゃないか。全部それを扱うか扱わないかは別として。
G: はい。
F:①この文集の中に、もっと友だちとの関係を取り上げたいというのだったら、作品に、無理してコメントを入れなくてもかまわないね。みんなで読んで気づいたことを言いましょう、というようなページにして読んでいけば、先生のコメントがなくったって交流できる。作品を介して友だち同士が意見を交流しあったり感想を交流しあったりすると、三角形みたいなね、先生と生徒だけじゃなくて、子ども同士の関係も出てくるのではないかな。
  ②「うそつき事件」で感じたんだけど、個の指導と集団の指導(一斉指導)というのをいつも考え   
  ておいた方がいい。これは一斉に全体に話すべきことなのか、あるいは個の問題なのかといったあたり。ところで、子ども自身にも、自分の個の問題なのか、それから集団として何か一斉にやるのかというね。やらなくてもいい場合があるわけでしょ。仲間同士だって一年中金魚のふんみたいにくっついているのが仲間じゃないというわけでしょ。そうすると、個と集団の関わりだとか、それから教師の方では、個を指導するのか、集団を指導するのかというのが意識されるともっといいかなと思って。 
H:①さっき、1、2年生の時に日記を指導されていたということだったけれど、その時はこういうふうにプリントして出されていた?
    -高橋:それは、やっていなかったと思うな、1、2年生の担任は。
  ②ナゼそれを聞いたかというと、やはり書いたものを学級集団の中にかえしていかない限りは、書いたその子の良さとか、表現の良さ、生き方の良さというものが伝わっていかない。表現のこういうところがいいんだよ、たとえば、会話が書いてあるとかよく見て書いているとか、そういうものが学級集団の中で取り上げられていけば、そのように書いていけばいいのだということも分かるようになるし、生き方の勉強にもなる。それと、作品の中に出てくる自分から、〇〇さんは私のことをこんなふうに見ているんだなということも知ることができる。よく知らない子でも、ああ、この子はこんないいところがあるんだなといったことも学ぶことができる。そういうつりあげを先生が一学期間ずっと続けてきたこと。二学期になっても、子どもたち、元に戻ってしまわずに意外と落ち着いていると話が出ていたけれど、それはやはりこれをやっていたからではないか。ただ書かせっぱなしで、子どもたちがこの文章を読んでいなかったら、友達関係とかも分からないし先生のことも分からないことになる。そうではなく、それを、しっかりやり切っている。すごいことだと思う。
  ③4月の始業式の日に書いた作文は、20名全員が「朝」で書き始めている。後半の作品を読むと
  それがなくなって変化が出てきている。今後は、書き出しのいい作品を取り上げて指導をしていくといいのではないか。
   -高橋:そういう書き方の指導も、できそうかナという気がしてきました!
I:①私も墨田にはじめて来た時に持ったクラスが単学級。すごい暴力をふるう大きな男の子がいて、その子に、「先生にもたれたくなかったよ」「こんな先生、いやだよ」みたいなことを面と向かって言われたのね。人間関係もいろいろあってすごいクラスだったので大変だったのだけど、良かったのは単学級だったことと、作文をやって学級通信(学年通信)を好きなように書くことができたこと。
  学級通信を通して親にサポートしてもらうしかないという感じで書いていたなあ。ものすごいストレスをかかえながら、それでも書かせていく中で子どもたちが本当に変わっていくというか。それから親もすごく応援してくれたなあというのを思い出してね、今、なつかしくなっているの。そんなふうにして、応援され、きたえられながら、結局、二年間やり通せたのね。
  ②高橋さんは、4月に始業式の日のことを書いた作文を20名全員分、一枚文集にして出しているわけだけど、普通だったら、こういうことを書かれたら出したくないわね。それを出していくわけだからすごいことだなあと思う。そういうことを地道にやっていくっていうことはすごく大事なのね。
積み重ねが大事なのよね。書き続けて読み合っていくのを続けていくと、最初、書くのがめんどくさいとか言っていたのが、「今度はいつ書くの?」とか「今日は何で書かないの?」とか「ぼくの書いたのどうだった?」なんて言うようになるのね。だから、大変でもがんばっていくしかないのよね。
D: 一学期の最後に、一冊の文集にまとめたのが、やはりすばらしいんじゃないかなあ。
I : 子どもたちにとって初めての文集だったみたい。
   -高橋:リレー日記。前の人の日記に感想を書いて、それから自分も書くのよってね。そしたら、〈私は絵が得意で、マンガ家を目ざしています〉というのを書いた子がいたのよ。次の番の男の子がね、ふだんは、「おめえ、バカだ」なんて言っている子なんだけど、その子が〈ぼくも応援しています〉と感想を書いているの。そういうのは、うれしかったですねえ。

  

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