『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

第523回 豊島作文の会 2月例会案内

第523回 豊島作文の会 2月例会案内

◆日 時 2018年2月10日(土) 午後2時~午後5時

◆場 所 豊島区立駒込地域文化創造館 (和室) 
     豊島区駒込2丁目2番2号   (地図参照)
     
《提 案》 
『解題 画文集・綴方作品の生まれた背景をさぐる
   ―国分一太郎発行の文集「もんぺ」「もんぺの弟」から―』
 (田中 定幸さん)
*1月例会の時に配られた田中さんの上記資料、あと『画文集 昭和の記録』もお忘れなく。

1月例会報告
『画文集 昭和の記憶』を読み合う
《参加》榎本 豊(司会)、日色、工藤、桐山、曽我、鈴木、片桐、田中、寺木(敬称略)

■『画文集 昭和の記憶』の中には、「想画」が298点、「綴方(詩)」が126点掲載されている。298点の「想画」。春、夏、秋、冬の四季ごとに、村の人々の暮らしが生き生きと描かれている。色使いもすごい。仕事をしている人々の姿、道の様子、使っている道具類、人々の着ている服装など、丁寧に描かれている。手本をそっくり真似て写していく臨画教育が続いていたこの当時(昭和初期)に、「物を正しくみつめること」「生活の事実を深く観察すること」(P130)を大事にして生活を克明に描かせていく指導が、長瀞小学校で行われていたということがすごい。車の両輪のもう一方の雄ともいうべき、文字・文でもって生活を書き綴らせていく国分一太郎の「綴方(詩)」の実践。長瀞小学校で「想画」教育が行なわれてきていたことが、綴方指導の面でも大いに力となったようである。「佐藤文利先生によって数年前から、とてもよい指導が行われているので綴方よりはずっと前進していた。生活のどの場面に絵を入れるか、絵の構図というものと、綴方構図とも関連づけていった。たとえば、ダダ広い場面に入れた人の絵には、生活の詳しさが出ないし、画用紙の中に、生活のある場面を、よいところにいれた人の絵には、生活の詳しさが入り、生活の精神が入るのだ。綴方も結局は同じことだ。あるときのことを、あるときの心を、そのところだけを、細かに詳しく入れなければならない。」(P130)「〈ある時のこと〉を〈ある生活〉をこまかく、深く見て、よく考えてしっかりした文を書いてください」(『もんぺ』昭和8年3月発行)。佐藤文利、東海林隆、国分一太郎など、優れた実践家が、この時期、長瀞小学校に集まっていたことが分かり、改めてすごいことだと感じた。偶然とは思えないくらいである。
■私は「ひらない せんめす」(『もんぺの弟7』の作品・P100)が何のことかまったく分からなかった。「せんめすのいきあったかい」とあるから、「せんめす」は「生き物」か?ぐらいの浅薄な認識。寺木さんも最初は何のことか分からなかったけれども、何度も読むうち分かってきたとのこと。「かわかない せんたくもの」ではないか。田中さん「せんたくものはせんたくものでも、おしめのことではないか。」意味が分かった時というのは実にうれしいもので、母親の「やろ(注:「男の子」)なせんめすひらなくてこまんべな」「やろばめんこくないか」という言葉も、これで納得!時間が足りなくなり、語り足りない感でちょっともったいなかったけれども、みんなでわいわい言いながら、あれこれ考えを出し合っていくのは勉強になるなあと感じた。
■田中さんが『解題 画文集・綴方作品の生まれた背景をさぐる―国分一太郎発行の文集「もんぺ」「もんぺの弟」から―』という24ページにも及ぶ資料を持参。じっくり時間をかけて話をしてもらうということで、次回(2/10)の例会で改めて解説をしていただくことになった。
■新年会の席で、米寿記念の花束と片桐さんがまとめてくださったお祝いの言葉の色紙を桐山さんにお渡ししました。
■中川さん、篠原さん、富山さん、藤林さんからは、桐山さんへのお祝いのメッセージと一緒に近況を伝えるお手紙も片桐さんに届いたとのことで、紹介がありました(すみません、みんなで読ませていただきました!)。 (文責:工藤 哲)

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