『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

第5回 国分一太郎「教育」と「文学」研究・学習会報告

第5回 国分一太郎「教育」と「文学」研究・学習会報告

学習会のスタートを待つ

掲示物等の準備も完了。学習会のスタートを待つ。


開会の挨拶

9時30分、学習会が始まる。開会の挨拶をする、綴方理論研究会代表の乙部武志さん。

 お早うございます。乙部でございます。今、司会の工藤さんから紹介がありましたように、国分一太郎「教育」と「文学」研究会の方では、わたくしは事務局で、会計の担当をしております。

 今回、第5回の、国分一太郎「教育」と「文学」研究・学習会。ひとつは、東根で、ずっと、「こぶし忌」に続く「研究会」を開いておりまして、もうひとつ、ここでは、「学習会」という形で開いております。なぜ「学習会」なのかといいますと、ひとつのヒントになりましたのは、国分一太郎と親交のありました中野重治。中野重治が亡くなってからあと、中野重治研究会の人たちが、ただ毎年偲ぶ会をやっていたのでは、ちっとも中野重治は喜ばないだろうと。やはりなんといいましても、中野重治といいましたら、ずっと権力に対して毅然たる姿勢をとってきた方でございますから、われわれは、それを踏襲するといいますか、そういうことで、奥さんの原泉をはじめとして、そういう方々とおつきあいのあった国分一太郎の研究会も、学習という形のところを拡げようということで、今回、実は、第5回を迎えたわけなのです。



軽快に話が進む

軽快な語り口で、お話が進みます。

最近の国分一太郎の情報の中で見ていきますと、ほとんど、国分一太郎は、もう過去の人という感じで、世上、マスコミの上でも、いろいろなメディアのところでも、出てまいりません。しかし、国分一太郎の「最上川」のような流れは、絶えることなくわれわれを潤(うるお)してくれております。最近と申しましたのは、ついこの間、「ユニ・エイジェンシー」というところの栗岡ゆき子という方から電話がありまして、実はこれから、「あすなろ書房」で、国分一太郎の「詞華集」を作りたいというのです。それで、著作権の継承者である国分真一さんに連絡をとったところ、全部返送されてきてしまったというのです。住所がわからないので教えてください、そういう頼みでございました。私は、もう第一線を退いておりますけれども、古くは、「あすなろ書房」などにも、いささか関係を持った人間でございますので、さっそくに、栗岡氏には、現在は、下目黒に住んでいるということを連絡しましたら、さっそく連絡がとれました。アンソロジー、そういうふうなものが、また世に出るかも知れないということですね。
 最近、資料として発掘したものの中に、実は、子どもの本の岩崎書店。岩崎書店の「岩崎徹太」、国分一太郎とはやはり大変親交の深かった本屋さんでございます。われわれは、岩崎書店には、『日本子どもの詩』あるいは『子ども風土記』、全県を網羅し、整っているものですけれども、その出版などでもお世話になっております。
 国分一太郎の短歌は、あまり知られておりません。彼を紹介するほとんどの活字は、「児童文学者」あるいは「生活綴方の実践者、研究者」というものになるのですけれども、実は、山形というところは、結城哀草果などが出たところでありまして、短歌の非常に盛んなところでした。みなさん書物の上ではご存知の無着成恭なども、その哀草果の薫陶を受けてかなり短歌を詠んだものでございます。国分一太郎の短歌は、主として師範学校時代に詠まれたものが多いのですけれども、その後詠まれたもの、これは活字にはなりましたけれども、一般には、出ていない。 岩崎徹太を讃えた、「岩崎大人(うし)挽歌」。短歌の大家がいますから、こういう古語というようなものは、ほとんど誰もがご存知で、知らないのはぼくひとりだろうと思うのですが、「大人」と書いて、「うし」というふうに、古語では発音いたします。その大人(うし)のことを詠んだ短歌が、ここに、これだけございます。
 ぼくは、自分で一度手に入れたら、人様に手ばなして見せるなんてことは、ぜったいしたくない男でございますので、きょうは、ちらっとお見せするだけですが……。「岩崎の大人は逝きたり去幼ならの魂たもち生きのきわまで」。亡くなるまでずっと、子ども心、幼心(おさなごころ)を持ってすごしていた、というようなことを詠ったのでのでございます。
 まだ報告したいのですが、今井さんが手ぐすね引いて待っておりますので、このへんでやめますけれども、おそらくこれから、発掘しようと思えばですね、まだまだこのようなものが出てくるのではないか。ある面でもって、この短歌を手に入れました。こういう側面もあったのだということを、お伝えしておきます。まだまだまだまだ、汲めども尽きせぬといいますか、国分一太郎のまだまだまだまだ違った姿を見せてくれるんじゃないかと考えております。
 わたくしめも、83歳になんなんとしております。えぇ、見えるのは、……だけでございますのでね、せいぜいそこをまたいで、痴呆についても通っていかなきゃなんてことを考えながら最近生きております。本日は、幸いにして、私の古い仲間である今井成司さんと、それから、短歌において、あるいは子どもの詩の教育においては、右に出るものがいないという久米さんをお招きしての会でございます。どうぞ、もう汲めど尽きせぬ国分一太郎と同時にですね、このお二人からも、ようく汲み取っていただきたいと思います。以上で開会の挨拶を終わります。ありがとうございました。



開会の挨拶が終わったあと、参加者全員による一人一発言(自己紹介、挨拶等)の時間を持ちました。一人一発言は、この学習会の恒例になっています。



午前・報告―1
わたしと生活綴り方
   
           今井 成司(東京作文協議会会長)

1、なぜ生活綴り方の道に入ったか

2、担任としての教師生活最後の学校,山谷小での実践

3、今考えていることー最近の言語理論、文学・読みの理論とかかわって



報告が始まる

東京作文協議会会長、今井成司さんの報告がスタート。最初は、「なぜ生活綴り方の道に入ったか」について、です。


父の詩を書く

東京大会が終わった一週間後に、今井さんの92歳のお父さんが脳梗塞で倒れたとのこと。茨城県の境町の病院に、三日に一度会いに出かけていき、帰ってきてから、お父さんのことを詩に書いておかなくてはと思ったということです。病院でのお父さんの姿と一緒に、働き者だった昔のころのことなどを織り交ぜながら、いくつも書き続けました。


詩を紹介
詩の紹介をする今井成司さん。


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話の途中にも、遠方からの参加者が到着です。



午後・報告―2
 やはり気になる 今の「児童詩」
 ~「これが児童詩?」年刊に見る変化とその理由を探る~
         
                      久米 武郎(横須賀作文の会)

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久米さん指導の作品が2作品紹介された。感動的な作品。掲載しておく。

『年刊』一九七三年版

  パスの中で 神奈川・中二  糸田 玲子

学校から帰るとき
瀬川さんと
いっしょのパスになった
瀬川さんの口が小さくて
話がよくわからない
{えっ?」
とききかえしたとき
「あなたはおしですか」
となりにいた
知らないおじさんがいった
わたし何もいえなくなった
からだじゅうが
もえつくように
あつくなった
下をむいて
かばんをぎゅっとつかんだ
くちびるをかんで
じっとすわっていた

〔選評]
身障者の心に燃える思いにふれてハッとさせられる。
われわれも心ないそのひとりではないかと。「わた
しは何もいえなくなった」以下、体を固くして孤独
にこもる作者にさしむかうぼくらの残酷さに心がひ
りひりする。


『年刊』一九七四年版

  ひとりぼっち    神奈川・中二  田丸 生子

お酒を飲みながら
歌を歌っているおじたち
むかしの
思い出話をしているおばたち
みんなゆかいそうに
大声で笑っている
耳のきこえないわたしは
みんなの笑い顔を
見ているだけ
わかったような顔をして
つくり笑いをするだけ
なんにもわからず
びくびくしているわたしは
だまってすわっているだけ

話の仲間にはいって
肩をたたきあい
おなかの中から
「ハハハ…」と
わたしが笑っている
夢を見た

話も歌も
なんにもきこえないわたしは
歌も話も
なんにもできないわたしは
たったひとりぼっち
あしたも あさっても
ずっと ずっと
いつまでも
たったのひとりぼっち


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午後・報告―3
国分一太郎学芸大学特別講義・「生活綴方と昭和国語教育史」から学ぶ 
―生活綴方の誕生とその展開を探る―

           田中 定幸(国分一太郎「教育」と「文学」研究会



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