『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』(9)

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』 (9)

8 『作文と教育』No.8 4月号(1952年4月20日発行)を読む
(1)「作文と教育」No.8(1952年4月号)が出る。 (資料22) 
(2) 「あとがき」(資料23-左-)を読む。
来栖良夫の留守(?)を引き受けて、後藤彦十郎が「あとがき」(資料23-左-)を書いている。
 後藤彦十郎の文章も、熱があって面白い。

☆新学期。いよいよ真けんに、しかもおおらかな気持ですすみましょう。いいかげんな時間過しで人間の教育はできません。しかしあせっても進路が乱れます。

☆「左記二名会員になってくれた四月から五部ずつよこせ」といった手紙が毎日四通五通来ない日がありません。会員のみなさんのあふるる熱誠に感激しています。りっぱな会にしなくては、読んで必ず実践面にプラスになる雑誌にしなくてはと、日夜そのことばかり考えています。

☆地方会員の開拓的実践記録も、どしどし発表したいのですが、何しろ頁数不足です。本号掲載予定の原稿も、次号に組みおきになったのが数篇あります。多忙中原稿を下さった方々にほんとにすみません。

☆今夏を期し、本会の後援で全国的な作文研究の集りが計画されています。詳細は次号で発表できると思います。…。

☆送っていただいた文集や、通信の全部に、返事を差上げられなくて申訳ありません。一つだっていいかげんにしているのではありません。人手不足と経費不足に負けてはならぬとがんばるのですが、まだダメなのです。

*ページ数を減らしたことの影響が出ているようで、ページ減は、やはり編集する側にとって大変な苦労となっているようである。さらに、人手不足、経費不足の問題もまだ解決していないみたいだ。


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