『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』(5)

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』 (5)

4 「月刊 作文研究」No.4(1951年8月号)を読む

(1) 「月刊 作文研究」No.4(資料13)は、8月15日に発行されている。4ヶ月かかったことになる。

(2)No.4の冒頭に、
「わたくしたちは前進している」(1951.5. 1)という記事が掲載されている。 (資料14)

この文章を読んでいくと、
①1949年冬、120名で始まった会が、1951年5月、341名になったこと。

②各地域で、活発な活動が展開されていること。

③〈全地域の活発な活動に比較して、事務局及び機関誌編集部の立ちおくれを深くおわびしなければならないが、これについては速かに次のような処置をとって、「日本綴方の会」の拡大と強化につとめつつある〉

として、次の二つが挙げられている。

・事務局を強化

・「月刊 作文研究」の編集担当部の増強(中央編集委員、地方 集委員確立)

*しかし、まだまだのようである。5.1付けのこの記事、本来なら前の5月号(実際は4月発行)に載るはずだったもの。

 それが、8月号に載っている。

(3)「編集後記」(資料15)を読む。
①署名、あいかわらず(K)である。上の《事務局の強化》と《「月刊 作文研究」の編集担当部の増強》を一番、待ち望んでいるのは、ひとり奮闘している(?)(K)かも知れない。

②その(K)が、書く。

△作文教育の上で、わたくしたちが、今うちたてなくてはならぬものに、作品の研究方法の問題があると思います。一つの作文を研究するばあい、印象批評や評論に終りがちです。この根本的な問題である作品の研究方法を確立しなければならぬと思いますが、本書の「研究作品」をとりあげ、いろいろの角度から、どのような研究方法によって検討すべきかを、具体的におきかせください。

△五号からは「作文」と改題発行すべく編集を進めております。くり返しますが、この機関誌は、実践現場からの意見や報告が主軸となってうち出されねばなりません。特に各地域同人の御活躍を期待します。

△同人以外の一般読者も増加しつつあります。一般読者のかたがた、どうか日本綴方の会に参加してください。一篇の作文、一児童、一教室の問題をみんなにわけあい、共同の問題として考えていこうではありませんか。一人でも多くの人と手をにぎりあおうではありませんか。

作品の研究方法を確立しなければならぬと訴えているが、これは、今の私たちにも大切な指摘のように思える。

*「五号からは『作文』と改題発行すべく編集をすすめております」とあるのだが、どんな経緯があったのだろう。

「一篇の作文、一児童、一教室の問題をみんなにわけあい、共同の問題として考えていこう」というくだりは、「生活綴方的教育方法」に通じる考え方か?


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