『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』(14)

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』 (14)

Ⅲ 終わりに
(1)年が明け「作文と教育」No.14(1953年1、2月合併号-2月20日発行)に、「日本作文の会役員」と題して次のような記事が載っている。
「一九五二年八月の大会決定にしたがい、会の組織強化について打合せの結果、左記のように決定しています。」として、「中央委員」「顧問」「機関誌編集委員」が報告されている。 (資料39-左-)

・中央委員
 今井譽次郎 上田庄三郎 倉沢栄吉 来栖良夫 国分一太郎 後藤彦十郎 寒川道夫 巽聖歌
 滑川道夫 野口茂夫 藤田圭雄 柳内達雄 吉田友治 吉田瑞穂 綿田三郎 綿引まさ

・顧問
 石黒修 太田尭 大熊信行 小川太郎 勝田守一 金久保通雄 乾孝 周郷博 高橋 一
 塚原健二郎 鶴見和子 中野重治 波多野完治 服部之総 古島敏雄 古谷綱武 
 三笠宮崇仁親王 宮原誠一 宗像誠也 矢川徳光

・機関誌編集委員
 今井譽次郎 来栖良夫 国分一太郎 後藤彦十郎 佐藤茂 巽聖歌 野口茂夫 吉田友治 
 柳内達雄 綿田三郎 寒川道夫

 *すごい顔ぶれである。日本作文の会のさらなる発展が予測される記事である。

*しかし、会としての苦労(後藤彦十郎の文章に代表されるような)は、まだまだ続いていくようである。

(2)「日本作文の会」が成立していくまでには、どうも並々ならぬ苦労があった感じ。それと、会が成立に向かって進んでいく陰では、来栖良夫が大きな役割を果たしていたのではないのかな、そんな印象でレポートをしてきたのであるが、はたしてどうだったのだろう。

(3)何かいい話題でもないものかと、安易な気持ちで復刻版の「作文と教育」を読み始めたのだが、読み出してみると、ここは、作品の宝庫、すぐれた論文の宝庫、会の歴史の宝庫であることが分かってきた。

この復刻版「作文と教育」は、今後、国分一太郎研究を続けていくうえでの貴重な武器・資料となっていくことだろうと思う。

私は、この「武器」を見つけることができたことをとてもうれしく思っている。

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