『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』(13)

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』 (13)

12 『作文と教育』No.12 10月号(1952年10月20日発行)を読む
(1) 「第一回作文教育全国協議会」の報告の号だった9月号に引き続き、10月には、
「作文と教育」No.12、「小砂丘忠義(15周年)記念号」が出されている。この号に限り、56ページ、定価50円である。

(2)「作文の会だより」(資料38-左-~39-右-)では、「ますます目覚しい活動がすすんでいます」として、全国各地での活発な活動の情況が報告されている。国分一太郎など、あちこちへ招かれて出かけて行っているようだ。

(3)それに続いて、「会員倍加運動と会費(誌代)赤字一掃を」という文章が出てくる。この文章が面白い、というか傑作である。
 後藤彦十郎の文章だと思う。

★これは「おねがいしまあす」のくちに属するが、ぜひともお願いしたいことなのである。
 誌代はほんとにキチンと送ってほしい。もう未回収分が(このままでいけば無料奉仕分)が八万円で、七月頃ちょっと安心したのもつかの間、痛手となってきた。このまま進行すれば雑誌は出せなくなること必定。現在の学校の教師が一か月三十円の金を払えないほど困窮していると思えない。

 バット一ケ七銭の時代に「綴方生活」は二十五銭か三十銭であった。その三十銭が收まらず、小砂丘先生は重病の身を入院加療もできず、死んでいった。三十銭ならバット四ケは買える。バットは現在の光一ケに匹敵しよう。作文と教育は光一ケと同値だが頁数は「綴方生活」の1/3である。昔並にするには光四ケの分量の雑誌にすべきだろうが、それができないほど教師の收入が少く、光一ケぐらいを買い易い標準として、雑誌内容の量を落としてださねばならない現状にある。日本の貧困、政治の貧困の現実的な文化面への表れである。ここまで落しても送金は中々円滑でないのが現状である。
…。
 百合出版と雖もつぶれたくない。それどころか儲けたい。万一儲けることができたら、「綴方会館」
でも建てたい。地方から上京する会員が実費だけで気軽に泊れいつでも会合ができ、催しもできる、われわれの会館を東京に一つぐらいつくりたい。しかしこれは理想である。
 とにかく今は、会費滞納を一掃しよう。そして、不安なしに三十円で六四頁の雑誌を出すようにしたい。そのために、会員の倍加運動を呼びかける次第である。『みなさん。おねがいしまあす。』



次の(14)最終ページへ!

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional