『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』(1)

第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道 (1)

この原稿は、2009年11月14日(土)に、第443回豊島作文の会 11月例会で提案したものが元になっている。
この時のテーマは、『復刻版「作文と教育」を読む…第一回作文教育全国協議会(中津川大会)へ到る道…』であった。

これを綴方理論研究会でも提案してみてはということになり、元のものを少し手直しをして、綴方理論研究会 12月例会で提案をさせてもらった。

理論研究会での提案では、『復刻版「作文と教育」を読む…草創期日本作文の会、第一回作文教育全国協議会(中津川大会)へ到る道…』と変更をして提案をした。

論文の中に、「資料1-右-」とか「資料18」とか出てくるが、これは提案のプリントと一緒に資料として配った53ページ分の復刻版のコピーを指している。

このコピーを全部載せるわけにはいかないので、提案を読み進めていく中でできるだけ理解ができるように、可能なかぎり必要なものは載せて記述したつもりである。


提 案 『復刻版「作文と教育」を読む
  …草創期日本作文の会、第一回作文教育全国協議会(中津川大会)へ到る道…』

                        豊島作文の会(組織拡大・理論研究部) 工藤  哲

Ⅰ 始めに
(1)復刻版「作文と教育」を読んでいて、「日本作文の会」草創の頃の歩みが、私が思っていたイメージと、どうも違っているなあという感じがした。私は、当然、すごい熱気の中、前途洋々、順風満帆で動き始めたものなのだろうと思っていたのだが、そんな型どおりのものではないというか、ちょっと違うようなのである。
このことは、機関誌「月刊 作文研究」の発刊の様子をみていて感じ始めた。

(2)資料1-右-に掲載した表紙のコピーは、日本作文の会の機関誌『作文と教育』の創刊号(復刻版)のものである。1950年(昭和25年)11月1日に発行されている。

『作文と教育』の創刊号
『作文と教育』創刊号の表紙。

(3)この表紙を見ると、もともとは、『作文と教育』という名称ではなく、『月刊 作文研究』であったことが分かる。会の名称も、『日本作文の会』ではなく、『日本綴方の会』であった。

(4)発刊の様子を見ていく。
①No.1号 1950年 11月 1日発行 『日本綴方の会』編集 『月刊 作文研究』 No.1

②No.2号 1951年 2月 1日発行 『日本綴方の会』編集 『月刊 作文研究』 No.2

③No.3号 1951年 5月15日発行 『日本綴方の会』編集 『月刊 作文研究』 No.3

④No.4号 1951年 8月15日発行 『日本綴方の会』編集 『月刊 作文研究』 No.4

⑤No.5号 1951年 12月 1日発行 『日本作文の会』編集 『作文 先生と生徒』No.5

*No.5で、『日本綴方の会』が『日本作文の会』と改称され、『月刊 作文研究』も
『作文 先生と生徒』と改題される。創刊から1年1ヵ月後である。

⑥No.6号 1952年 2月20日発行 『日本作文の会』編集 『作文と教育』   No.6

*No.5から2ヵ月(2ヵ月と19日)後の、No.6で、改めて誌名が『作文と教育』となるのである。
創刊から1年3ヶ月後である。

このあと、ほぼ毎月、発行されていく。
⑦No.7号  1952年 3月20日発行

⑧No.8号  1952年 4月20日発行

⑨No.9号 1952年 6月20日発行 5、6月合併号

⑩No.10号 1952年 7月20日発行 7、8月合併号 「作文教育全国協議会」要項等

⑪No.11号 1952年 9月20日発行        「第一回作文教育全国協議会を終って」

(5)発刊の様子をみていると、いくつか気づくことがある。
①『月刊 作文研究』とありながら、No.1~4(あとNo.5、6も)など、3ヶ月~4ヶ月のペースで発行されている。これは一体、何なのだろう。

②会の名称変更というのは、かなり重大なことであるものだが、『日本綴方の会』から『日本作文の会』へと、あえて実行されている。

③誌名も、『月刊 作文研究』から、一度『作文 先生と生徒』となり、さらに『作文と教育』と変わっていく。

④No.6で「日本作文の会」、『作文と教育』となって(創刊から1年と4ヶ月の期間を経ている)以降、やっと月刊が実現されている。

誌名から「月刊」という文字がとれてから、月刊が実現されていくのである。編集体制が整えられてきたからなのだが、だからこそ、ここに到るまでがいかに大変であったかということにもなる。
 
(6)「日本作文の会」と名称変更、『作文と教育』と誌名の変更(1952年2月)の後、「日本作文の会」は、いよいよ、この年8月の「第一回作文教育全国協議会」開催に向け、準備を進めていくこととなるわけだが…。

(7)復刻版『作文と教育1』のNo.1~No.11を読みながら、「月刊 作文研究」創刊から 、岐阜県中津川市で開かれた「第一回作文教育全国協議会」(1952年8月)へ到るまでの「日本作文の会」の大変そうな「歩み」を、私の気づきを中心にレポートしていきたい。『日本作文の会草創期の歩み、来栖良夫の奔走』といった題名にしても良かったかもしれない。

 資料に関しては、これは面白いな、役に立ちそうというものを選んで掲載した。じっと眺め、読んでいくだけでも、楽しい発見が出てくるかも知れない。暇な折、ぜひゆっくり目を通していただきたい。


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