『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

「5分間メモ」教育実践法研究会 12月例会(資料1)

「5分間メモ」で「書くこと」について学びあっていること

 「5分間メモ」教育実践法研究会 09.12.5例会 

★「書くこと」とは★        
                      
                                                     早川 恒敬
 
 「書きコトバ」(※1)は、習得の欲求が乏しく、動機をつくることもまた難しい。話し相手が目の前にいない。書く動機も、具体的な状況も、頭のなかで描きあげ自らの努力でつくりあげなければならない。もう一人の自分や相手を登場(想像)させて対話することになり、とても面倒な作業ということになる。したがって「書きコトバ」を使って文章を書くことは努力が必要となり、書きたくなるようにさせることは教師にとって、やっかいで取り組みにくい。
 先生や学級のみんなに伝えたくてしょうがないという心を呼び覚まし点火すれば状況は変化する。積極的に書くようになっていく。先生やみんなが受け止めてくれると分かったとき、それまでむずかしかった「書きコトバ」の習得の欲求や動機をつくり上げることに成功する。それでもまだなお難しい。
 そのために先ずは、自分は何をどのようにしたのかを徹底的に外に出させる。つれづれなるままの気まぐれであっても、あれこれを外に向けて発信させる。それはしゃべらせることからでもよい。いつまでもしゃべらせてやりたいが、一人ひとり聞いている時間はない。それでは「書きコトバ」の習得には結びつかない。
 そこで、瞬時に全員に外に向けて発信させるには、短くても文字でもって「書きコトバ」で書かせる。瞬時に全員の情報が手に入る。一人ひとりの子どもにしてみれば、自分の書いたものが先生に受け止めてもらえる。子どもは先生というフィルターをとおして一歩外側にはたらきかけることになる。はじめて自分と先生との関係が発生する。子どもが書くということの意味は、まずはじめはここにある。子どもにとって相手(対象)を考える第一歩を踏み出したことになる。
 友だちとどうしたこうした、そのときこう言った、などと、見聞したことやまわりの状況など、対象にかかわったことを書きはじめる。これまで無意識に身につけてきていた「書きコトバ」(※2)であったが、全く新しい自覚的な世界へ第一歩を踏み出して行く。先生がよく聞き受け止めてくれたりするほどに、それまでの面倒な気持ちを押しのけて書きたくなっていく。学級のみんなにも、言いたくて仕方がなくなってきて、一歩からはじまった関係性は、さらに広がっていく。毎日200字以上書き続ける子たちが半数以上もいる学級の出現もめずらしくはない。
 はじめは自分中心に、自分の外側に向かってはたらきかけ「書きコトバ」を積み上げてきた。しかし、少しばかり自分の外側からものごとを見たり、考えたりするように変化していく。つまり、自分と相手(対象)との双方向性のやりとりが増大していく。それまでは、相手のことなどまるで頓着せず、常に承認欲求・理解欲求のスタイルの自分ではあったが、相手を承認したり理解したりしていこうとするスタイル(※3)へと、少しずつスイッチを切り替えていく。フィードバックさせながら新しい自分を構築していく。  
 子どもが「書きコトバ」を使って書くということは、そのような方向性をたどるということになる。それらのことのなかには想像性というものが濃密に組み込まれて(※4)おり、自分と自分以外の関係の距離を推し量ることができるようになる。つまり、車で言えば車間距離を維持しながら走行できるようになるようなものである。「者間距離」とでも言おうか。
 絵や写真や音楽で自分を対象にして表現することは専門家でもない限りできることではない。しかし「書きコトバ」に慣れれば、小学4年生以後あたりから自分を対象にして書くことができるようになる。対象にはたらきかけながら対象の側(外側)から自分を見つめることが可能になる。それが発達であり成長である。このようなことを経て「考えたことを論理的に表現する力」を身につけていく。
 1年生から5年生までの間(※5)、時間と手間ひまをかけて、自分を知ってもらい、相手を知ることにより、承認する力と理解する力を深め、身につけていく。
 「書きコトバ」で書き続けることは、遠回りでかつ面倒なことのようであったかもしれないが、じつは、「書きコトバ」で書くことこそが、ショートカット的作業なのである。
 キレやすく暴力に走りやすい(と一般的には言うが)子どもたちをじっくりと観察するがよい。
 言葉や文章で思いを伝えることのできないお互いの間柄で発生しているということを。
とりわけ、文章に自分の思いをこめて伝える力がいかに未熟であるかということを。
「話しことば」と「書きコトバ」とは決定的にちがう。「書きコトバ」の習得こそが、発達を保障するのである。

(※1)「書きコトバ」
 「書きコトバ」は、絵本の読み聞かせ、ごっこ遊び、劇あそびなどから形成される。
 「書きコトバ」は、その後の発達の前意識形成・前段取りとなり、爆発年令は4歳~5歳といわれている。

(※2)無意識・無自覚に身につけてきていた
 平仮名習得以前は、無意識であり、無自覚のまま「書きコトバ」を身につけている。
 平仮名習得以後、「書くこと」に対する習得の欲求と動機付けによって意識的・自覚的に使うようになる。
 文章を書かせる教師とそうでない教師の決定的に異なるところは、ここにある。
書くことを大事にする学級は、随伴性マネジメント効果を発揮することになる。

(※3)承認欲求・理解欲求→相手を承認したり理解したりする
 人と人とのすれちがいに「認められたい」と「理解してもらいたい」がある。
 「認められたい・理解されたい」の心は幼児から児童期前期に特徴的であり、「認める心」と「理解する心」に高めていくこと、そういう方向に流れをつくることである。
 「書きコトバ」で文章を書く活動の重要性はここにある。いわゆる「学力がありそうな子」でも、文章でもって書かない子はいつまでも幼稚であり、熟成からは遠のいている。

(※4)想像性というものが濃密に組み込まれて
 想像というものはものすごいことである。
 封建社会の反逆児「ヨシダ・トラジロウ」こと吉田松陰に一度もあったこともないのに、あの『宝島』を書いたロバート・ルイス・スティーヴンスン(『赤い鳥』運動にも間接的に影響を与えているといわれている)が、ある日本人から聞いた話に感銘を受け、それを「ヨシダ・トラジロウ伝」として書いている。彼のこの想像する力にも、ものすごさがある。
 『宝島』は、吉田松陰に自分を重ね合わせて「ヨシダ・トラジロウ伝」を書き上げたあとに、新しく10歳年上の妻となったファニーの息子(13歳)ロイドのために書き上げたといわれている。
 スティーヴンスンは、松陰のことを「生きる力を与えてくれる日本の英雄」と友人に手紙を書いたともいわれている。またスティーヴンスンにとっては、「あらゆる不安から解放してくれる特効薬は、いつでも書くことそのものだ…死に直面しても己を信じ、愛を信じ、言葉の力を信じて、書き続けることによって生き続けようとした」といわれている。
 <吉田松陰は、時代または考え方によって取りあげかたに賛否や好みが分かれてきたようだ。>
 
(※5)1年生から5年生までの間
 「書きコトバ」の前意識形成の爆発年令が4~5歳とすれば、意識的・自覚的な「書きコトバ」の最も効果のある年令は、わたしは1年生~5年生の幅のなかにおさまると考えている。
 児童期の5年間に「書きコトバ」で文章を書くことにためらいなくさせることはきわめて重要であると考える
 「書きコトバ」の習得は、抽象的思考が著しく発達する思春期における前意識形成にもなる。そのように考えるとき文章を書くということがいかに重要であるか納得できる。 

◎ 子どもが「書くこと」の意味、そして意義というものはただ単に、考える力・思考力が育つと言うことだけにとどまらない。それこそ「不安から解放される特効薬」であり、「生きる力を与えてくれるもの」なのである。
 「5分間メモ」の共同研究者のみなさんには、ぜひとも「書くこと」の意味や意義について、保護者に語り納得させられる力をもって「5分間メモ」に取り組んでもらいたいと期待する。
 スティーヴンスンもまた、詩を書き、長文の書き手になって不安から解放された人だったということを知らされる。
 「5分間メモ」大好き人間になり、「詩のようなもの」から「詩」へ進み「ひとまとまりになっている文章」(考えたことを論理的に表現する力)を書く子どもたちへと発展するように願うものである。 
 すべてはメモからはじまる。そのくらいの気持ちで書くことにとりくませてほしい。  

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